マルセカンパニー

マルセカンパニーはマルセ太郎の芝居「マルセ喜劇」をプロデュースしています。

マルセ太郎の芝居

マルセな人々(マルセカンパニーの仲間達)コメディーオンザボード


マルセ太郎の芝居語録

「人物を典型的に表現すれば笑いが生まれる。おもしろおかしく書くことじゃない。対象をよく知らないと喜劇にはならない。よく知る行為が愛なんです。愛があればうそは書けません」

「僕の芝居はやたらとメッセージが入りますが、作者が出たらいかん、と思ってますよ。登場人物が生きてしゃべることが大事なんでね」

「人間が泣く場合ってのは、だいたい皆同じ場面で泣くんだよね。たとえば家族の死とか。でも笑いってのは、皆一緒じゃない。民族性もあれば、物の考え方、教養、あるいは性別、年齢差もあるでしょう。だからこそ笑いには、その人間の人生観が出るものなんだ。」

「喜劇。日本の場合、映画や芝居に携わっている人達は、喜劇ってものを良く理解してないんだよね。喜劇っていうのはさ、これ、翻訳語なんです。日本の言葉にはない。だいたい歌舞伎の中に喜劇はない。日本だけですよ。フランスは当然のようにモリエールから始まって喜劇はあるし、どこの国にもあるわけなんだけど、日本の歌舞伎は道化役者は出ますね。ひようきんな奴が。しかし喜劇はない。何百年の間日本人は喜劇を作らなかった」

「伝統芸能というのはあるんですか、古典というのはない。アホな評論家は「日本の古典芸能は」なんて言ってるけど、意味を全然勘違いしてる。古典と言うのは、常にそれか発展していかなきやならない。イギリスのシェークスピアは現代劇に生きている。それでこそ初めてシェークスピアは古典になる。」