1・はじめに

 この作品はマルセ太郎原作によるものです。マルセ太郎は生前8本の傑作喜劇を残しました。その中でも特に感動的な作品がこの『花咲く家の物語』です。本作品は1997年、マルセ太郎の作/演出により上演されたもので、東京はじめとして金沢、福井、富山、京都、大阪、東大阪、野洲、広島、横浜、秩父、深谷な ど各地で上演され、大好評を得ました。2007年はマルセ太郎が逝去してから7回忌にあたります。これを機会にコメディ オン ザボードは去る4月、東京、両国・シアターX(カイ)に於いてこの作品を再演し、再び大きな反響を得ました。。
 この物語は、知的障害をもつ6人の若者達と共同生活を送る家族の話です。

 この作品では、そんな彼らを個性豊かに描きながら、家族のあり方や、人間の持つおかしさ、哀しさを浮き彫りにしていきます。

『今こそ、この作品は上演されるべきだ』という多くの声が寄せられました。そこで、我々は改めて、より多くのの人々にご覧いただきたくツアー公演を計画致しました。

3・『花咲く家の物語』とは

 この作品にはモデルがあります。それは石川県金沢市にあった一軒のグループホーム「若人の家」です。「若人の家」は1984年に地元の養護施設に勤務する小杉孝志、康子夫妻が「知的障害をもつ人々にも普通の生活を送ってもらおう」と言う思いのもと、軽度の知的障害を持つ6人の若者達と、小杉夫妻とその子供 達が共同生活を始めた家でありました。マルセ太郎は生前、金沢市で公演するたびにその「若人の家」を訪ね、若者達と交流を深めていました。

そのころ、すでに康子さんの体は乳がんに侵されておりましたが、彼女は病気と戦いながらもホームの若者達と生活をしていました。

しかし、康子さんは「若人の家」を始めて10年目の1994年に逝去されました。彼女の逝去後、子供達のエピソードを綴った「時には昔の話を・・・」という一冊の本が「若人の家」の支援者の人々に配布されました。

マルセ太郎は「若人の家」を訪れる度に、康子さんと若者達の触れ合う日常に心を揺り動かされ、その様子をひとつの作品として創り上げました。

それがこの『花咲く家の物語』であります。

4・作品内容について 

  この舞台は、金沢市郊外にあるグループホーム「若草の家」の居間が中心となります。
 「若草の家」は“おかあちゃん”と呼ばれる、杉田陽子とその家族、それに軽度の知的障害を持つ6人の若者達(勝、博、健、耕治、春男、隆志)が共同生活をしています。
 物語は、若者達が直面する様々な問題を、陽子を中心とした彼らを取り巻く人々が共に助け合いながら乗り越えていく姿を描いていきます。
 物語は「若草の家」に芸人・マルセ太郎が初めて訪問するところから始まります。ホームの若者達は、興味深くマルセを迎え、マルセはパントマイムなどを披露し若者達を笑わせます。やがて打ち解けた雰囲気の中で彼らは自分達の近況を語ります。

 それは彼らの独特の感性で表現され、笑いを誘い、時には社会の矛盾を鋭く突いていきます。しかし、陽子にとって彼らとの生活はそんな楽しい事ばかりではありませんでした。放浪癖のある勝が巻き起こす大騒動。工場をリストラされ、そのストレスで暴れ回る博との対決。などなど・・・、若者達が引き起こす問題に 翻弄されながらも、陽子は彼らと真正面に向き合います。

 そんな慌しい日々の中、陽子の体に異変が起きます。彼女が抱えていた乳がんが再発したのです。その時から陽子の心は、「若草の家」を解散するかどうか揺れ動きはじめます。彼女はその葛藤の中、自分の思いや死生観を若者達、そして家族に伝えようとしていきます。それは淡々としながらも、感動をもって見る者に 伝わっていきます。
 やがて陽子は死を迎えます。そして陽子の一周忌。マルセ太郎や縁の人々が再びホームを訪れる中、彼女が大事に育てていた花々が一斉に咲き誇ります。
 それはまるで陽子が訪ねてきた人々に対してメッセージを送っているようでありました。それに応えるように、勝が自分の得意とする太鼓を叩きはじめます。

 この物語は、陽子と若者達を中心に、その周囲の人々も人間喜劇として生き生きと描くこによって更に深い感動を呼び起こす作品となっています。