小田島雄志の芝居遊歩 1999年8月5日 産経新聞

 腹の底から「笑いと涙」

 一口に「笑いと涙」と言っても、それが人間のどの部分に発するかによって、表面的でセンチメンタルなものもあれば、腹の底からわいてくる力強いリアルなものもある。マルセカンパニーの『イカイノ物語』(マルセ太郎作・演出)は、その後者だった。イカイノ(猪飼野、現在は大阪市生野区中川)に住む「在日」の一家。母(矢野陽子)、東京で芸能人になった長男、正雄(永井寛孝)とその妻(にしだまちこ)、小さな町工場をやっている二男、勝冶(哀藤誠司)とその妻(松山薫)、長女、町子(吉宮君子)、孫たち(浅地直樹、梨花、瓜生和成=写真中央)、親類たち(マルセ太郎=同左、維田修二…同有、藤原常吉、一色涼太)、近くのバーの日本人マスタ−(大久保洋太郎)らが、チェサ(祭杷)で寄り集まる。ドラマの芯(しん)になるのは、勝冶が作者自身と思われる正雄に激しく食ってかかるバリ雑言と、その裏に秘められた兄への熱い愛情である。その周囲に、それぞれの人物の見せ場となるエピソードが織りなされていて、しばしば笑いを呼び起こし、いつのまにか涙を誘う。

衰藤誠司の嵐(あらし)のような情熱の噴出から、矢野陽子の年輪を感じさせるオモニ(母)ぶりまで、マルセ太郎の渋く切ない演技から、(彼のお嬢さんである)梨花の明るくはつらつとした若さまで、ここには俳優一人一人の「生活感情」が渦巻いているようである。そして、その渦から観客席にあふれてくるのは、一世、二世、三世と世代によって微妙に変化はしているが「在日」であるためのつらさや悲しみの底の底からわいてくるユーモアであり、いまの日本に薄れつつある強い家族愛である。そのユーモアと家族愛にひたることによって、ぼくたちはこの喜劇を他人事ではなくわがことと受けとめることになる。『イカイノ物語』は、「異界の」物語ではなく、ぼくたち人間のドラマなのである。(文京女子短大教授)

 

悲劇喜劇 10月号(1999)イカイノ物語劇評

編集部 次も貝山さんにお願いします。

マルセ太郎喜劇プロデュース「イカイノ物語」を。マルセ太郎作・演出、東京芸術劇場小ホールでの公演です。

大場 残念だけれど、僕は観逃してしまいました。

貝山 九三年度より年に一本、大人のための喜劇をということを目指して、マルセ太郎がみずから脚本を書き、プロデュースによる上演を果たしてきたわけです。その七回目の公演ということで、マルセ太郎が作と演出を兼ねています。この公演の鍵になっているのは「在日」ということですね。在日朝鮮人の子として猪飼野の町に育ったマルセが、自身の弟をモデルとして、この町とその周辺の人物について描いたいわばマルセの自伝的色彩の濃い作品であると言えると思います。

 去年、六十四歳になったマルセが、ソウル国際演劇祭に参加して、故郷の済州島を含めて初めて母国訪問をした。そのときのこともこの作を創作する上で大きな支えとなったということも書いているわけですが、言えぱ、これまでのマルセ喜劇の集大成的な意味を持った公演だったと思います。

 劇全体は、マルセの本音で書かれているというか、とにかくそこが気持ちよかったですね。本音で書かれていることの小気味よさがあった。とかく人間は自分の秘めた部分についてはあまり語りたがらないのが常ですが、マルセの語り口というのは非常に率直で飾り気がないんですね。その率直で飾りのないところが、在日の抱えている問題点をそのままストレートに浮き彫りにさせて見せてくれるというか、そこが観ていて、単なる喜劇に終わらない深い内容を観客に与えたものになったのじゃないかと。 特に在日の問題の中でも一番大きい特徴は、母親と弟夫婦を中心に三世代にわたる人間が家庭の一員や親戚の一人として登場するわけですね。この三世代ということが大事だと思うんです。それぞれの世代を代表して、登場人物たちがその意識の違いをお互いに話す中で際立たせているところが、芝居としての大きな見どころだったと思うし、面白いところだったと思うんです。

 僕自身もかつて、日系移民社会の話に関心を持って、南米や北米に移民した日本人の一世から三世、現在の四世に至るまでの歴吏についてその意識の変遷について調べたことがあったんですけれども、この作品に出てくる在日朝鮮人の一世から三世、四世の意識というものと全く共通した部分があることに気がつかされたんです。特に海外だけのことではない現実の日本の中で抱える問題として全く同じなんですね。

 その元になっているのが、日本に最初に移住してきた一世たちなわけですが、過去においてその一世たちは言葉もままならぬまま、ただ馬車馬のように働いてきた現実があるわけで、その子のいわゆる二世たち世代では、親の言葉の不自由さが恥となったり、それで肩身を狭くした。また逆に卑屈に生きる一世の親に対して反発を持って育ってきたというのが大方の二世世代の歴史だったわけです。で、アメリカ、カナダなんがの場合だったら、二世たちは国に対する忠誠心を示そうと戦争においても進んで軍隊に志願したという歴史を持つわけです。

 それと同じようなことが、在日の場合もあった。だから二世世代の意識というのは非常に屈折しているわけです。一世の親たちと国の関係に対しても、二世たちは屈折した感情を抱いて生きてきた。自分たちの住む所を劣悪な環境に置いた国への反抗というような状況を含めてそれはあった。

 でも、その次のまた次の三世、四世の世代になってくると、また今度はもう一つ違ってくるという、自分たちが住む国や友人たちとの折り合いをつけて、批判的だった親をもう一つ乗り越えて自分たちの先祖の伝統を自分たちの生活に生かし、二つの国にまたがる新しい文化を創造しようとエネルギーを燃やす。そうした三世代に渉る家族の意識の変遷が、この家庭劇の中に全部込められているんで、僕はびっくりしたんです。

 要するに百の在日の理論を語るよりも、この物語の中に一世たちが苦労してあれしたときから現在までの在日の人達の意識の丸ごとが、ドラマに詰められているというかな、それがしかも笑いというオブラートの中に包まれて、本音が語られていくというところに、非常に大きな衝撃を受けたわけです。

 ああ、これはやはりすごいと。そしてつまりはマルセ自身の未来への願いでしようか、これからの若い三世、四世達の世代がこの国の中でちゃんと折り合いをつけて、誇りをもってしかも明るく生きていってほしいと。その願いみたいなものが作家の中に強くあったからこそ、こういう作品が描かれたんだと。これは稀にみる演劇で、しかもまた見事にうまいもんだから、泣かせたり笑わせたりで(笑)、思わずついほろほろと泣かされちゃうと言うか。

編集部 大阪の猪飼野というところは朝鮮の人たちがかなり多く住んでいるところでしよう。

貝山 各地にそうした日本人街とか韓国人街とかが、海外にもありますけど、日本の場合は大阪の猪飼野がその典型的な街であったと。でも、そこをみずからのルーツとして、民族の誇りを持って生きてゆこうとする姿勢が、ドラマの最後に暗示されて、深く感銘しました。

 これもうっかりした視点で書くと、差別につながりかねないきわどい台詞もいっぱい出てくるわけだけれども、マルセの心の中からにじみ出てくる表現だから、無条件に観ているほうに素直に感じられるということ。それと彼のたくましい芸人魂ですね。一つの事に対する腹のすえ方が、やはり違うものだと。

編集部 戯曲は九月号に掲載します。

大場 そうですか。

貝山 大場さんもぜひ戯曲を読んでください。僕は本当に今期の収穫の一つだと思うんです。俳優たちの演技も非常によかった。なかでも一世の役をやった矢野陽子。僕は以前にぐるーぷえいとの公演では彼女の演技を観ていたのだけど、あんなに達者な人だと思わなかったぐらい一世の母親を見事にね。

大場 僕も観ておけぱよかったですね。

貝山 ええ。それから兄弟になった人たちもよかったですね。ドラマの両軸となったのは兄貴の永井寛孝と弟の哀藤誠司。二人は対称的な性格の持ち主で、兄貴はマルセ自身がモデルなんでしょうけど、芸人になるんですよね。弟のほうは汗にまみれて町工場を経営している。弟のほうは乱暴者なんだけれども、それこそさっきの「兄帰る」じゃないけど、情が濃いんですね。

 めちゃめちゃに情が濃い、その辺のところは役者の演技もあってよく出ていたし、脇の、妹役の吉宮君子とか、おじさん役の維田修二などの存在感もあった。

 総体に、関西弁のリズムがよく、アンサンプルもよかった。マルセ太郎演出の功績じゃないかと思うんです。マルセ自身はちよっとした親戚の役でしたが、それがよかったんじゃないでしょうか。

編集部 そうですね。

貝山 自分があまり正面に出ない分、演出者として劇の展開をよく見て、演技指導に力を注いだ感じがよくわかるんです。それが結果的によい成果をもたらしたんじゃないでしょうか。ということで僕は上半期の収穫の一つにぜひ挙げたい。

大場 ああ、それはぜひ観たかった。


戻る