マルセ太郎喜劇プロデュースvol.8 「真夏の夜の哀しみ」改訂版「北の宿にハトが泣く」 作・演出 マルセ太郎 【公演日】 1999年1月5日(火)〜10日(日) シアターX(カイ) 【出演】 斉藤昌子 松岡文雄 維田修二 矢野陽子 狭間鉄 永井寛孝 藤原常吉 松山薫 梨花 / マルセ太郎 チラシ 劇評 演劇界99年3月号 1999年4月号悲劇喜劇 「まだ生きとったんか」 「なんでこの目出度いときに」 ある老芸人の通夜に集まった芸人たちの とりとめのない会話はやがて・・・。 「生きてるうちに言わんかい」 スタッフ 照 明:日高勝彦 音楽効果:是安房雄 舞台監督:Yosio 舞台助手:富広陽子 制 作:マルセカンパニー 前回作品を越える面白さ。マルセ喜劇で初笑い。 正月早々のめでたい時に、かって名人と言われた老芸人が逝った。そこに集まって来た売れない芸人たち。おもわず出てしまう「おめでとう」という正月の挨拶。
こうしてはじまる哀しくもおかしい芸人たちのとんちんかんな一夜。
ベテラン俳優人が新たに加わり、人間喜劇の笑い爆発。
これまでも数々の話題作を創り続けて、益々円熟味を増したマルセ太郎。この10月、韓国における国際演劇祭に招待され、大好評を博し、今や時の人となりました。そのマルセが、喜劇プロデュースを通して笑いを追求し続け、今回が8作目。ベテラン俳優人が新たに加わり、人間喜劇の笑いが爆発します。
<北の宿にハトが泣くあらすじ>
正月早々のめでたい時に、かって名人と言われた老芸人が逝った。そこに集まって来た売れない芸人たち。おもわず出てしまう「おめでとう」という正月の挨拶。 こうしてはじまる哀しくもおかしい芸人たちのとんちんかんな一夜。ベテラン俳優人が芸人になりきり、人間喜劇の笑い爆発。仲の悪い女漫才師、夫婦漫才、そして酒癖の悪い漫談家、売れない講釈師… そこに、老演芸評論家が加わり、通夜の席には相応しくないとんちんかんでシビアな会話が飛び交います。
やがて、いまは引退した名人といわれた芸人がそこにあらわれることによってこの物語は急展開します。通夜が始まってから終わる迄のリアルな時間進行による、いわゆる一幕モノ。黒澤明の「生きる」における通夜のシーンをおもわせる、まさに人間喜劇になっております。
マルセ太郎 亡き黒沢明監督の「生きる」は、すぐれた人間喜劇だと僕は観てきた。 ことに後半の通夜の場面は、そこだけを切り取っても、立派な一幕物喜劇として成り立つと考えている。 このことをヒントに、九六年九月、「真夏の夜の哀しみ」を書き、渋谷ジャンジャンで上演した。 ある軽演劇の老優がひとり寂しく死んだ。その通夜に集まった、陽の当たらない芸人たちというのが、 劇の設定である。 今度これを再演する予定だったのが、今年の五月、今野誠が倒れ、現在は自宅療養中で元気にしては いるが、芝居に出るのは無理のようなので、かなり改作せざるを得ない。 今野、矢野の夫婦漫才という役を斉藤昌子に加わってもらい、矢野陽子と女コンビの漫才とした。 実は斉藤も僕同様、がん持ちなのだ。食堂がんである。 そこへ永井と漫才コンビであった千葉真弓も、産後の体調をくずし出演不可能。 よくよく病人の多い“劇団”である。代りに梨花が永井とのコンビとなるから、その役柄も当然変える ことになり、改作というより新作のつもりで書かなくてはならない。 前回、維田修二の講釈師が大いにうけ、彼のセリフから取って、タイトルを「北の宿にハトが泣く」 にした。「泣く」ではなく「啼く」ではないかと言わないでほしい。 泣くところが、この喜劇のみそなのである。
新劇の舞台(演劇界99年3月号) 配役を一新・若返った『子午線の祀り』 マルセ太郎の芸『北の宿にハトが泣く』 宮下展夫
木下順二の『子午線の祀り』が新国立劇場の制作で七年ぶりに上演され、配役を一新して若々しい舞台になった。
一の谷の合戦から壇の浦の平家滅亡に至る大叙情詩を、平家物語を骨格にして描いた大作である。二十年前に初演されたときから、能・狂言、歌舞伎、新劇の俳優たちが一体となって作り上げてきたユニークな舞台だ。配役が新しくなった今回も、その点は変わっていない。初演以来、嵐圭史がやってきた平知盛の役を狂言の野村萬斎が、また野村万作が演じてきた源義経の役を歌舞伎の市川右近が引継ぎ、山本安英の影身は三田和代に変わった。
この三人がよくやっている。萬斎は美しく伸びやかな声と気品のある演技で滅びていく平家の哀れさを表わし、一方、右近はエネルギーがほとばしるような力のこもった演技で勝ち戦をつかみとる義経の姿を描きだした。とりわけ右近はこの舞台を引っ張る牽引車の役割を果たして、出色の出来だ。役者としての風格が一段と大きくなった。三田和代は、山本安英の持っていたようなカリスマ性はないものの、透明感のある演技と張りのある声でこの劇をしっかりと支えている。新世代への交代は成功だったといっていい。
演出陣は観世栄夫を申心に内山鶉、高瀬精一郎、酒井誠の四人。いずれも初演以来、宇野重吉を助けてこの作品の演出を手がけてきた人たちだ。これまでけいこに立ち合ってきた作者の木下順二は、こんどは演出から完全に手を引いて、一観客の立場に徹した。演出の骨格そのものはこれまでと変わっていないが、人の動きがやや派手やかになり、衣裳や美術など、全体に彩りが明るくなった。初演以来の演出が、余計なものをそぎ落とし、完成度の高い禁欲的な舞台を作り上げてきたのに対して、こんどは破綻を恐れずに、新しい俳優たちにのびのびと芝居をさせて、生き生きとした息吹を吹き込んでみようという意図が見える。人間の営みに比べて天空の広大さを感じさせたのがこれまでの舞台の成果であるとすれば、こんどは登場人物のひとりひとりが、こっけいさや弱さを含めて自分の存在を懸命に主張している。
たとえば鈴木瑞穂の演じた阿波民部重能。天皇と三種の神器を擁して、唐・天竺まで逃げ延びようと平知盛に進言するこの男は、滝沢修が演じたときには、得体の知れない大きな人物に思えたが、鈴木に代わって、人間的な弱さが見えておもしろかった。最後の裏切りも、十分に納得がいく。戦いのなかで、ただおろおろするばかりの村田吉次郎の大臣殿宗盛、策士として駆け回る佐藤輝の伊勢三郎義盛などの人物が、これまで以上に鮮明に浮かび上がっている。雑然として、まだ整えられていない部分もあったけれども、活気にあふれたいい舞台だ。開幕の読み手を観世栄夫が引き受けたが、これはどうだったか。宇野重吉の朗読が懐かしい。
すこし時期遅れになったが、松の内が終わったばかりのときにシアターXで見たマルセ太郎喜劇プロデュースの『北の宿にハトが泣く』が楽しくて心にしみる喜劇だった。
以前に上演した『真夏の夜の哀しみ』を再演の予定が、病気の俳優続出で、新参加の俳優のためにあれこれと書き換えた作品だそうだ。新劇では戯曲に俳優が合わせるが、マルセ太郎は役者に合わせて戯曲を直す。大衆劇では当たり前のことなのだが、俳優の魅力を引き出す芝居作りはみごと一なものだ。
軽演劇の老優の通夜の席に集まった陽の当たらない芸人たち。浪曲師や漫才師などの取りとめのない話がじつにおもしろく、斉藤昌子、矢野陽子、維田修二といった芸達者のあいだを飛び交う会話の一つ一つが観客の笑いを誘っている。圧巻は、マルセ太郎が一人語りする、北海道巡業の物語。キャバレー回りの過酷さをしみじみと語りながら、その中に日本のキャバレーがなぜいい芸人を生み出せないかといった文化論が入り、最後はしょぽくれた宿に見知ら海老奇術師と泊まり合わせた話になる。奇術師の使うハトの嶋く声に眠りがかき乱されるやり切れなさ。マルセが笑わせながら、しんみりと観害を引きつける。作・演出に主演とマルセ太郎のための芝居だが、周りにいい俳優を集めているからこそ、マルセの芸も生きている。いい舞台を見せてもらった。
これに比べると、新劇は難しすぎる。たとえばシアターコクーンで見たキャスター・ウエストエンドシアター公演の『バリフー最後の夜』。このひと月あまりの間に見たものの中ではトップ・クラスのいい芝居で、アルフレッド・ウーリィの戯曲もしっかりしているし、西川信廣の演出も行き届いていて、俳優もみな好演している。それなのにやはり難しくて芝居についていけないところがある。ヒットラーの脅威がはっきりし始めてきた時代の、アメリカ南部アトランタでのユダヤ人家族の物語だ。若い人たちの出会いの場であるバリフーと呼ばれるダンス・パーティーで二人の娘がいい結婚相手を見つけられるかどうかで家中が大騒ぎする。母親の心配と対抗意識、娘たちの間の心理的な争い。それは日本の親や娘たちにも通じるところがある。川口敦子、立石涼子の演じる二人の母親と、それぞれの娘の役の早坂好恵と松下恵。これに金内喜久夫、大場泰正、中井出健。出演者がみなさわやかな演技を見せる。特に若手の四人の演技に私はたいへん好感を持った。それでもやはり芝居に溶け込むところまで行かなかった。ユダヤ人社会のしきたりが、頭では何とか理解できても、心で理解し切れないもどかしさが残る。翻訳劇の難しさだろう。劇団民藝の『グレイクリスマス』(斎藤憐作、紀伊國屋サザンシアター)。渡辺浩子演出で七年前に三越劇場で上演され、それから全国を回って三百ステージを越える公演を重ね、久し振りに東京での再演になった。日本の敗戦直後から朝鮮戦争までの歴史を、もと伯爵の五篠家を舞台に描いた作品だが、戯曲のバックボーンに新憲法の精神を置いて、見応えのある舞台だ。
伯爵家の母屋は進駐軍に接収されて将校クラブになった。五篠家の男はみな、どう生きていいのか、戸惑っている、たくましいのは女たちだ。伯爵の妻、華子一奈良岡朋子一はアメリカの日系二世の軍人ジョージ(伊藤孝燈)の日本に民主主義を根付かせたいという熱意に打たれて、日本の現状にだんだんと目を開かれていく。朝鮮戦争で戦死したジョージの思い出のオルゴールの曲に合わせて踊りながら、華子が新憲法の一説を声高くうたいあげる幕切れは、奈良岡朋子の美しく、また力強い声が深い印象を残す。知的で深みのある女優の奈良岡朋子が、代表作といえるものをしっかりとつかんだと思った。
司会 それでは、また渾大防さんに二本続けてお願いします。一つはマルセ太郎の作・演出による喜劇プロデュース「北の宿にハトが泣く」、シアターXです。それからケイダッシュステージで「パパに乾杯」、新国立小劇場、これを一つずつお願いします。
渾大防 マルセ太郎さんは私、評判は開いてたんですが、観たのは初めてです。この人が、長い間芸人としていろいろ体験を積んできたことから生まれてきた作品だと思うんですけど。
ある老芸人が亡くなって、そのお通夜の席に、弟子筋だとか、それから親しくしてた評論家先生だとか、そういう人たちが集まってきて、そこでもうたわいない話から、マルセ太郎の役の人間が自分の体験を語るのは、まさに自分自身の体験が裏打ちされていると思うんです。
ずっとキャバレー回りをやってた。キャバレーというのは一日に二度だか三度だか、それを何日間かやる。大体がホステスなんかがいて、それでお酒飲みながら芸を観てると。
そうすると、一番最初は、そのホステスたちだって初めてだから面白いと思って笑うけど、二度、三度になってくると観ないというんですね。客の観ないところで必死になってやってくることがいかに大変だったか、辛かったかという話をするんだけど、これはまさに実感がこもっていて、ああ、そういう世界って知らなかったけど、そうだったんだろうなと思いました。
で、漫才のコンビが出てきたり、そういう売れない芸人たちが集まってるんですけれど、そのまさに漫才のようなやりとりの間合いと呼吸が見事で、それほど深刻な話はしてないんだけど非常に面白いんですね。
で、このカンパニーは、人が人れ替わっても割と常連、いつも一緒にやってるような人たらなんでしょうから、お互いに気心がわかってる。ある種芸を売りながら、なかなか売れていかない人たちの悲哀だとか、そういう芸人たちの世界の話を笑わせながら見せていく。
※渾大防=民芸演出家
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