マルセ太郎中毒患者会メーリングリスト


メーリングリストの記録です。縦に長くなります。 LAST最新のメール)

 
自己紹介 立木寅児
 
全国マルセ太郎中毒患者会 機関誌「サルサル」編集長をしております。
 創刊号の編集方針で、かなりいい加減にやると宣言しておきながら全国の中毒
患者のみなさまから 叱咤、激励をいただき編集部員のMac嬢のごきげんをとり
ながら半年の間に4号も出すなんて編集方針に反するなーと思いつつ次号の記
集めをしているところです。ましてや、サルサルを出すのにパソコン通信が便利
や、と思いパソ通ならインターネットやらの方が便利そうだとさっそくとりかか
ったのが運の尽き、あちこちでしゃべりすぎたのも災いしてメーリングリストの
設定にあけくれ、訳が分からないままこうやって何とかみなさまに自己紹介なん
ぞを書いております。
 
 「わたしがマルセ病になった訳」
 思い起こせば、10年前、まだマルセさんが烏山でお店をやっていたとき、今で
こそちっと有名になった狛江(当時は、東京人でも知らないえどつこがいたりし
たもんね)でスタジオBeフリーという小劇場をやり始めたばかりでした。
 東京のとある劇団(俳協)のなんかのパーティーで故・手塚治氏の話が聞ける
というので出かけていったのであります。立食パーティーで200人くらい、いた
かなー、かなりがやがやしておりまして、こりゃ手塚さんがはなしてもダメかな
ーと案じておりましたところ、マルセなんとかさんです、と司会者が紹介すると
なんだか顔の黒い人が客席から表れたのです。それがご存じマルセ太郎でした。
立食パーティーでかなり乱れた客席だったのですが5分も立たないうちに前の方
からだんだん静かになってきて、そうですあの芸が始まったのですよ。マルセ太
郎のお笑いの世界 続いて「泥の河」そのときからなんですよ。僕の病気は!
 それから、1週間後、熱に浮かされた小生は、烏山のお店を訪ねていたんであ
ります。もちろん、Beフリーへの出演依頼で。
 その時、マルセ太郎大人がの賜った、というより吠えたお言葉が
「いいか、宣伝するなよ!ライブは宣伝しちゃいけないー。おれの名前で来る客
だけでいいんだー!」
 どうすりゃ、いいんだこのおれは、とにかく控えめにチラシつくってお友達を
中心にひそひそと声をかけ、「マルセ太郎って、どんなことやるの」と聞かれる
と
「えーっと!芝居じゃないんだけど、パントマイムでもないしアクション有りの
語りでマルセ太郎さんがひとりでぜんぶやるの」と訳の分からない説明をして、
相手がきょとんとしている隙に「とにかく、観りゃわかるの!」と相手の手にチ
ケットを握らせて、まあ何とか最初のBeフリーライブは満席で何とか成功しまし
たんですよ。
 あの時、だまされてきてくれたお客さんが今でもBeフリーのお客さんになって
いてくれています。
 アー!あれから10年 時は、過ぎて私たちに何も残っていない。
 あるのは、切れ切れの記憶ばかり
みなさん!今からでも遅くな、なにかのこそうよ。という、アジテーションを最
後に、お後と交代、
 
TOP From: 中原 憲明 
<RXI03671@niftyserve.or.jp>
 
  連絡会でマルセさんの話が出てくるとはさすが頼もしい。
  マルセさんをお呼びしての「スクリーンのない映画館」を開催出来れば
  といつも思っております。
    狛江市は、マルセさんのお住まいのところではないでしょうか。
    お身体の調子はいかがなのでしょうか。
  とりあえず、MLに入会し、情報を頂ければ助かります。
-
 
 私が中毒になったわけ
 伊藤則子                             
   INET: RXC11046@niftyserve.
 
 私が初めてマルセさんにお会いした場所は、10年くらい前、
スタジオBeフリーの並木さんに連れられて行った千歳烏山の「人力車」というスナックでした。
  こまめにグラスを並べたりカラオケをセットしたりしている小柄な男性(何せ縦も横
もすごおく大きな人と行ったものだから、本当にそう見えたのでした)、それがマルセさんでした
お客さんのお世話が一段落したところで私の目の前にすわって、ちょっとウインクするような感じ
で片目をつぶったりしながら、お店に来る「やくざ」さんのお話をしてくれたのでした。もうおか
しくて涙を流しながら笑いころげて聞いたら、何日か後に、それを絶妙な間で舞台の上で話すのです。
舞台の上でも下でも変わらないこのサービス精神というか、研究熱心さにすっかり敬服してしまいま
した。何度観ても何度聞いても、その度にジワッと泣かせて笑わせてくれるマルセさん。どこで観ても
すてきなマルセさんですけど、私はスタジオBeフリーで演じるマルセさんが一番好きです。だって
私だけのお方という感じがするんですもの。あの空間が持つ魔術だと思います。だから、だから、
ついに私はあの空間の魅力にあらがいかねて、この2月からスタジオBeフリーのスタッフになってし
まったのです。見えない力に引き寄せられるみたいに。これって運命??
みなさま是非一度スタジオBeフリーでマルセさんをごらんになってみて下さい。そんな不思議な
小さな宇宙だということが、きっとお解りになると思います。
 もう一つ、マルセさんもステキだけど、大らかなママ(マルセさんの奥様)もとってもステキ。
そう、私はママの中毒でもあるのです。
 
TOPSubject: [saru 34] 自己症例報告
 
  皆さん、初めまして。奥名です。えっと、石川テレビで赤井朱美の隣に座っている
男です。簡単に自己紹介しますね。
 
 36歳、生来独身、酒好き、ジャズ好き、ネコ2匹。以上。
 
 えー、うちの会社の報道番組部は、結成(?)してまる2年です。マルセさんの取材
は、赤井朱美が昨年春より行っております。今度3月下旬に「花咲く家の物語」公演
直前スペシャル番組として、1時間番組を放送いたします。昨日、一緒に番組構成を
しておりました。
 「芸人魂」でご存知の通り、赤井が以前に制作した「若人の家」と「花咲く家…」
の接点を番組にして、4月12日の舞台につなげようという番組ですね。石川エリア
と福井エリアだけの放送なのが、ちと残念ですが…。
 
 さて、ボクがマルセさんに初めて出会ったのは、昨年12月のことでした。番組の
取材にくっついていったのですが、飲み屋での取材終了後に打ち上げというか、ただ
そのまま飲んでお話を伺っていたのですが、たちまち虜になってしまいました。
 
 翌日の公演にもわけあって音声マンとして参加したのですが、いや、驚きました。
「言葉」に対してこれほど鋭敏な感覚を持っているヒトを、ボクは初めて見ました。
我々が普段何気なく使っている「言葉」が、如何にいい加減なものかを思い知らされ
ました。「言葉」を扱う商売として、大いに恥じ入ったのでありますね。
 
 昨夜、ちょくちょく酒場などで拾い読みしていた名著「芸人魂」を、赤井から買い
ました。赤井は「マルセ関連グッズの売人」でもあるようです。ボクは、そんな赤井
の雑用、秘書、パソコン、電話帳、運転手、緊急カメラマン、ヤミの音声マンなども
担当しているのでありました。わはは。
 
 今回、アッと言う間に大量のサルサル通信mailが届いて、赤井の隣の男は、唖然と
しておりました。赤井は機械類が全然ダメで、現在使っているノートワープロも2年
がかりで漸くマスターしたのです。ボクはこの2年、インストラクターでした。で、
E-mailについては勿論ダメなので、かわりにボクが受け取っているわけです。
 今、赤井は、「マックのパワーブックを買うんだ」と張り切っています。恐ろしい
ことです。この発言には、「奥名ちん、教えて」という言葉が、セットになっている
からです。うーむ。
 昨日も会社でサルサル通信を見せたら、異様に喜んで、また「絶対マック買う!」
と決意を表明しておりました。頭が痛い。
 
 症例報告のつもりが、ボヤキに変わってきたので、きょうはこの辺で。
 
TOP 五十嵐
 金沢在住 
 masahiro@kenroku.ipc.kanazawa-u.ac.jp
 先日、マルセ太郎の憲法の話の主催をされた方です。
まずは、自己紹介をお願いいたします。金沢病棟が充実してきました。
 
この度、「全国マルセ太郎中毒患者会」に入会した五十嵐正博です。
 中毒に罹ったのは、もう大分前のことです。時期を思い出せないのは、
病気が相当悪化している証拠でしょう。
 14年前に、オーストラリアのメルボルンから金沢に移り住み、
現在金沢大学法学部で国際法を担当しています。我が「連れ合い」は、
「花咲く家の物語」のきっかけになったTVドキュメンタリー「ここに家族あり」
の制作者です。一部の巷では、彼女は、この会の「婦長」職にあるようです。
 先先週の「花咲く家の物語」金沢公演に引き続き、先週もマルセさんを当地に
お招きしました。青年法律家協会北陸支部主催「憲法施行50周年記念集会」に
です。私は、その会の支部長をしており、いわば職権(濫用ではありません)で
マルセさんを呼ぼうと提案し、幸い実現したのでした。マルセさんの「アジ演説」
を聞いて、当地の弁護士さん達の喜びようといったらありませんでした。これか
ら、彼ら、彼女らは法廷でマルセさんの真似をして、弁論を展開しようとするで
しょう。とてもうまくいくとは思えませんが、そのことが人権の一層の擁護に繋
がっていけば素晴らしいことでしょう。これからも、同病相憐れむ者として、
宜しくお願い申し上げます。
 
 
Subject: [saru 138] 初めまして。マルセ中毒感染患者 になりました。
しばざき みゆき
  えっと、初めまして。
 
  私もどうやら『マルセ太郎中毒患者』のようですのでメールングリストに
参加させていただきたいです。
  んで、私はワープロ通信でまだあまり通信に慣れていないのでご迷惑をお
かけするかもしれませんが、いたらない所がありましたらバシバシ指摘して
ください。
 
  ところでマルセ太郎さんのことは子供の時から『サルの人』思って生きて
きました。たぶん、20年くらい前にテレビでマルセさんのサル真似をみたか
らだと思います。
  子供だったんです、私。(-。-*)
  それが、昨年の夏に大阪に越してきて(それまではズーッと関東でした)今年
の1月のスクリーンのない映画館を観てどうやら細々と埋まっていた中毒の種
が芽を出してあっというまに木になってしまいました。
  先日は『花咲く家の物語』を観てゾワゾワと心も体も波打ってしまいました。
  そんなわけで、今後ともよろしくお願いします。
 
                                          
TOP Subject: [saru 157] 参加希望
神川忠雄
奈良市
 
編集長様
メーリングリストに加入を希望する初期中毒患者より
自己紹介
神川忠雄 昭和9年生まれ
現職 大学で有機化学を教え、生物活性天然有機化合物の合成を研究
中毒症状
高校時代マルセさんとは同級、しかし、彼は演劇部私は水泳部とあまり話しをする機
会はありませんでしたが、彼の活動は常に意識していました。昨年6月NHKのテレビで
「マルセ太郎の芸人魂」を見て、温かい人柄と豊かな人生経験に裏打ちされた至芸を
みて、感動し涙がでるのを止められませんでした。
今回、マルセさんより案内をいただいて、5月10日の大阪公演に出かけ、初期感染
と同じ感動を新にし、現在もその時の爽やかな感動を維持し続けています。
オネゲル「火刑台上のジャンヌダルク」より作者の許可を得ずに改作
「何よりも強いものそれは希望
  何よりも強いものそれは喜び
  何よりも強いものそれは愛
  最も強いものそれは絆」
 
 
 
TOP Subject: [saru 178] 初めまして 松岡 顕 (GBA03100@niftyserve.or.jp)
 
 
初めまして。「花咲く家の物語」の公演パンフレットでこのMLを知り、さっそく
入会させていただきました。
 
私は、大阪在住の大学院生ですが、毎日のようにジャグリングの毒に酔いしれ、
大道芸などのパフォーマンスを月に1度は見ないと、禁断症状が発症するという
中毒症を持っております。
 
私が最初にマルセ太郎のライブを見たのは、95年の11月頃に、大阪府松原市
で行われた公演でした。
 
前半では、「寄席芸特集」ということで、鳥や猿の形態模写や、文楽や各国の踊
りを面白おかしく語りながら演じ、後半は、スクリーンのない映画館「泥の河」。
まさに芸を芸として感じさせないほどの自然さで、すっかり彼の物語る世界に入
り込んでしまいました。
 
マルセ太郎の舞台は、映画と観客の間を埋める仕事だと感じました。もし、私が、
映画の「泥の河」を見たとしても、彼が語ってくれた感動をすべて受けとめるだ
けの感受性は、持っていないことでしょう。ひょっとすると、映画を見たら幻滅
してしまうかもしれない、と恐れるほどのリアリティと感動がありました。
 
最初、彼の舞台の紹介で、「映画のセリフから、舞台設定、背景、音響、観客の
心理まですべてを語る」と聞いたときに、どうしてそんな奇妙なことを始めたの
だろうと、疑問を持ちましたが、後でそれはごく自然な衝動から始まったことに
気付きました。それはたぶん、「自分が感動したことを人に伝えたい」という衝
動だったに違いありません。
 
TOP Subject: [saru 181] マルセ太郎さんと私/お詫 びの多い手記
 鳥居恭好@名古屋です。
「花咲く家の物語」は今週22日に精算会&反省会&反芻会を行ないます。
場所はいつものトコ。
ちょっと良いお知らせが出来そうです。
*******************************************************
さるさる編集長から終身患者通告を受けてしまった鳥居@名古屋実行委です。
その重度の患者の最近の病態ですが、
「花咲く家の物語」のチラシのデザインや配色が地方毎に違うことに気付き
全部欲しいな〜、等と考える今日このごろです。
見てきた映画の内容を人に語るときに
演技や身振りを無理やりに入れようとしますが、
あまりの下手クソさに赤面し、途中で止め、
「これじゃあ映画に失礼だ」等と反省したりもしています。
また、「さるさる」第四号の今野さんの回想を読み、
若き日のマルセさんのサルの形態模写の様に
椅子の上で膝を抱えて座ったた状態から
いきなり床に手を付いて歩き始める練習をしようとして
結局怖くてやめたりしています。
 
クローン羊やクローン猿が話題ですが、
「内なるクローン猿」はなかなか出来そうにありません。
 
「私が中毒になったわけ」が差し当たりのテーマのようですので、
「さるさる」第二号に掲載いただいた拙文を以下に転載します。
長くてすみませんねえ。
 
(ここから)*****************************************
 
<マルセ太郎さんと私/お詫びの多い手記>        名古屋市 鳥居恭好
 
マルセ師匠に関する最初の記憶らしい記憶は十数年前の「花王名人劇場」です。
その前にもマルセさんを見たことがあったらしく
 「へえ、この人も出るんだ名人劇場」
と感じたように思います。
内容はまるっきり覚えていません。
(ごめんなさい、すでに「花いちもんめ」のようなワタクシです。)
ただ記憶に残っているのは、マルセさんの持ち時間の後に流れた公演の予告と、
舞台用ポスターのマルセさんの似顔絵。
それが中学生の頃だったと思います。
それ以来マルセさんのことは記憶の奥底に封印されていました。
 
大学二年の頃ですから10年近く前の寒い時期、
何で知ったのか定かではありませんが、
名古屋大須の七ツ寺共同スタジオ行われる
マルセ太郎の「スクリーンのないロードショウ」を知りました。
演目はフェリーニ監督の「道」。
大好きな映画の一つだったため、軽い気持ちで足を運びました。
始めて入るスタジオはどことはなしに不気味に感じられました。
がらがらの客席の真ん中に石油ストーブが置かれていたように思います。
後で聞いたところによると、毎年一、二回行われる大須での公演のうち
最も不入りの回だったそうです。
靴を抱えて開演を待つあいだ、薄暗い場内には澱んだ空気が漂っていましたが、
これはマルセさんの会に特有のものではなく、
スタジオ自体の体臭であることなど当時の私には知る由もありません
(スタジオ関係者の皆さんごめんなさい)。
 
まもなくマルセさんが登場、第一印象は「小さい人」「恐い顔の人」。
しかしお馴染みのサルの形態模写やヨーロッパの旅芸人の話、国家と国歌の関係など、
すぐにマルセ太郎の世界に引き込まれました。
そして本編へ…内容は私の拙い筆には余ります、勘弁してください。
驚きの連続でした。
「さるさる」読者の皆さんなら充分お判りいただけるでしょう。
この映画は何度も見ており
「あのシーンの次はこのシーン」等とすべて知っているつもりでしたが、
あさはかな私がボロボロに泣かされた事実を申し添えておきます。
私はもともと落語ファンで、
芸の最高峰は落語と信じて疑ったことはありませんでした。
硬直した私の見方を易々と粉砕してくれたマルセさんに心から感謝しています。
 
七ツ寺スタジオ公演の打ち上げはいつも、すぐそばの居酒屋の座敷で行われます。
私もノコノコ付いていきました。
その日はスタッフを中心として男ばかり10名程が集まっていました。
(今では七ツ寺スタジオでも毎回立ち見が出ますし、
 打ち上げでも入り切れないファン、それも麗しい女性ばかりが
 マルセさんを取り囲んで帰そうとしません。本当です。)
マルセさんに「どうだった」と聞かれ、緊張の余り狼狽した私は、
素直に「感激した」という言葉が出てこず、
 「なんか体が重そうに感じました」
等と聞いた風なことを…無神経なガキでした。
ごめんなさい。
マルセさんはお忘れかもしれませんが、謝らせてください。
マルセさんは一瞬下を向いて
 「ああー、そう」
とつぶやき、向き直って
 「まあ、芸人の苦しんでるところも見てよ」
とおっしゃいました。
薬を飲んでの熱演だったことはその後知りました。
 
マルセさんはそれからも色々と話してくださいました。
映画の話、歌舞伎の話、韓国の葬式における女性の泣き方のものすごさ、
泉和助の思い出等々、すべてが大切に思えて、
帰りの電車の中で思い出しながらメモに書き起こしました。
 
それから十年近くが経ち、私もマルセ太郎中毒患者です。
永六輔さんの本に
 「何言ってんだい! 
  あたしはね、六代目に舞台の上から見つめられたんだよ!
  あたしより幸せな人間はいないんだよ!」
と言うおばあさんの話があったと思います。
(永さんのお母さんだったかもしれない。また記憶があやふやですみません。)
三年ほど前、打ち上げの後、
名古屋名物味噌煮込みうどんを食べに行くことになりました。
外は雨、私の普通より一回り大きな傘を見てマルセさんが
 「ああ、入れてってもらおう」
とおっしゃったので、
相合い傘で「雨に唄えば」を唄いながら大須の町を歩きました。
それ以来私は件のおばあさんと同じくらいの幸せ者なのです。
 
TOP Subject: [saru 196]
 初めまして、神田香織です。
 
初めまして、私は講談師の神田香織と申します。まずは簡単に自己紹介をさせて
いただきます。福島県はいわき市という、太平洋に面した気候温暖なお魚の美味
しいところに三年前から住んでおり、仕事の時は全国各地に出かけて行くので
「出稼ぎ講釈師」とも言われております。市内に二カ所の定席を設立。「地域興
しは語りから」と地方からの文化の発信の可能性を地元の有志たちと酒を酌み交
わしながら探ったりもしております。代表作は一人芝居の要素を取り入れた「は
だしのゲン」、「新釈ロマンホラー、四谷怪談」などで、Beフリーにも度々出演
させていただいております。講談の師匠は神田山陽、芸人としての師匠はマルセ
太郎さんと、勝手に決めて十?年。中野のプランB-の頃からの追っかけです。以
後、よろしくお見知りおきのほどを。
 さて、東北地方では私が初めての患者ということになるのでしょうか?いわき
の皆さんに是非マルセさんの芸を、と人に会うごとに口説いて歩いておりました
ら、ついに実現の運びとなりました。上野からスーパーひたち(常磐線)で約二
時間。「殺陣師段平物語」まだの方、ぜひ・・・・
 
Subject: [saru 224] 自己紹介
こんにちは、こんばんは、綿田  敏孝です。
 
LILLPUTといった方がご存知の方もおられるかもしれません。
NIFTY-Serve、FMAGIC-SYSOPを致しております。
 
以前より、各種メディアで、マルセ太郎師は存じ上げていましたが、
サルのイメージしかありませんでした。ところがこの田舎の山口県にまでおいで
になり、スクリーンのない映画館を間のあたりにすることが出来ました。
 
どうしても田舎にいる為にこのような各種アートにせっする機会が圧倒的に低く、
各種メディアを駆使してその情報を得ております。
これからもよろしくお願いします。
 
                                        LILLIPUTこと綿田  敏孝でした。
 
 
TOP Subject: [saru 225] はじめまして
はじめまして、チャン助こと安部保範と申します。
 
まずご挨拶がわりに自己紹介を簡単に。
 
 横浜在住の42才の会社員です。
 趣味は、マジック、ジャグリング、バルーンなどバラエティアートを中心に
 興味を持ち、自身でもパフォーマンスを演じています。
 詳しくは私のホームページを見ていただければ幸いです。
 「見世物広場」http://www.bekkoame.or.jp/~abesan/
 
マルセ太郎さんのことはサルの形態模写当時から名前程度は知ってはいたのです
が、興味を持ち始めたのは1993年7月、日本テレビ放映の「EXテレビ」と
いう番組で、マルセ太郎さんが上岡龍太郎さんと対談しているのを見てからでし
ょうか。ちなみにこの時のタイトルは「ナミダ涙・奇跡の芸人 今夜公開」とい
うことで、さすがの上岡龍太郎さん(司会者)も彼の話っぷりに完全にのまれて
いました。
 
次に出会ったのが1994年6月19日のNHK教育テレビ放映の「泥の河」で
した。
この時初めて「スクリーンのない映画館」を観たのですが、実際の映画を観たこ
とはありませんでしたが、彼の芸を観た後は涙がジワッとしてくるし、まるで何
十回もこの映画を観たような気になり、それどころかこの「泥の河が」私にとっ
て一番のお気に入りの映画という錯覚すら覚えてしまいました。映画は観たこと
がないのに。
その時以来、彼は私のお気に入りの芸人さんです。
 
1996年の「横浜アートLIVE」という催し物が、10月1日から11月1
5日の間、横浜みなとみらい21の敷地内に100人位で満員になってしまうよ
うな小さなテント内で、いろいろなパフォーマンス開催として企画されました。
彼の生の舞台に接したのは11月7日で、そこで演じられたのは、
「殺陣師・段平」。
新国劇の誕生とその十八番である「国定忠治」が生まれるまでの過程を、沢田正
二郎と殺陣師・段平とのお互いの葛藤を交えて熱く語ってくれました。
いろいろなアートは観ているつもりですが、カテゴリー的にもどの分野にも属さ
ず、彼の芸はまさしく彼しか演じられません。
その時は久しぶりに人の話を聴くという快感を味わいました。
 
おまけ:このMLで話題になっている彼の自伝を紹介します。
 1.書名 芸人魂
 2.出版  講談社 1991.11.19
 3.著者  マルセ太郎
 4.価格 ¥1,800(本体¥1,748)
 5.内容 「類なきピン芸人の当りネタ小劇場」
      第1章 お客さん(お客さんは1人;面白い、面白くない;スナック「人
          力車」;啖呵売三態)
      第2章 演芸場の人々(メリケンの川上;浅草のキヨシ;演芸場のネタか
          ら;客を馬鹿にしてはいけない)
      第3章 お姐さんたち(2千円出す;デパートで;今晩だけよ;立小便と
          冷蔵庫)
      第4章 わが友、わが先輩(現代、おじさんがいない;わが高津高校;中
          岡義徳のこと)
      第5章 人生の出会い(和っちゃん先生;世田谷物語;キンペイちゃん)
      第6章 家庭主義(父のこと;母のこと;家族の間で;ここに家族あり;
          現代イソップ物語)
 6.ISBN  4−06−205677−1
 
長くなりましたが、今後とも宜しくお願いいたします。
 
 
TOP Subject: [saru 70] マルセ中毒にはアルコールがよく似合う
下岡 真 <QZE06664@niftyserve.or.jp>
 
 マルセ中毒の会・広島(池田正彦)
 
 マルセ太郎さんにはじめて出会ったのは、1990年6月、広島で活動写真(血煙り高田の馬場)
+弁士とマルセさんのスクリーンのない映画館の二本だての公演を企画した時でした。
 マルセさんのうわさは聞いていたのですが、映画一本まるごと再現___?ほんまかいな。
「泥の河」「生きる」は本当にショックでした。(マイッタ〜)本当にすごかった。
といっても私たちスタッフは落ちついて観ることもできず、部分部分を垣間観た程度
で、完璧な中毒者になってしまった。それから7年、毎年広島での公演ではお世話になってい
 
ますが、公演はもちろんのこと、その後の打ち上げの楽しいこと。マルセ流のはなしっぷりに
しっかりはまり、だんだんとその中毒度は重症化しています。
 
 広島における中毒度(症状)は人それぞれに違いますが、一般的症例として、あまり軽い人
やミーハー的レベルの人はまずいない。反対にどちらかと言えば理屈っぽい(議論好き)、世
間の尺度ではちょっと変わり者、いろんな事にすぐ興味を持つ人、教養人___ということに
なるか。
 一度感染すると全く治療法はなく、したがって公演と聞けば、何はさておきかけつけるとい
うパターンをくりかえす結果となる。
 こわいのは、できるだけ自分の宝みたいにしまいこんでおきたい、あんたらにゃ〜教えたげ
んもんね式の秘匿する人が多いから、インフルエンザみたいに大流行することがない。
 先日も「池さんよ〜あんましだれかれに声かけんさんな、もったいないけえの〜」と言われ
、なるほどなるほどと感心したりもしました。
 どうしてここまで惚れ込んでいくのか。おそらく、他(マルセさんを知らない人間)から見
れば、わからん?ことだらけにちがいない。その不思議さを少し分析してみると、わたしらが
考えたり、思ったりしていることをマルセ流に切りとり、しかも身近な問題に転換させ、独特
の技のキレはどの人にもマネができない。そのキレは、どうだ!すごいだろう的なこけおどし
ではなく、そこに、私もあんたも同じやねんの目線があり、共感がある。
 
 私は山田洋治監督のヒューマンさと比較してしまうのだが、人間を決してバカにしないあた
たかさは共通の質だと思う。観客は(私は)そんな質にドーンと励まされ、勇気がわいてくる
のである。
 今回も<花咲く家の物語>の高熱にうなされながら、中毒患者は元気に重症化していく。
<さるさる>の広告に、マルセ中毒消毒の店とあったが、実際は消毒ではなく興奮度バツグン
の赤マムシカンフル剤ではないか。
 
 マルセ中毒にはアルコールがよく似合う。

TOP   
 Subject: 自己紹介
 
 田坂州代

聖地狛江に生まれ育ち、手続きもせぬうちに、いつのまにか
メーリングリストに参加させて頂いていたという幸せものです。
 歌舞伎に惹かれたのがきっかけで、以来ジャンルを問わず舞台
に足を運んでいます。新国劇の最終興行の客席ではおそらく
最年少組だったと思います。心まちにしていたBeフリーでの
殺陣師段平を拝見したときは本当にあの舞台が目の前によみが
えってまいりました。
                     1997.5.19記
------------------------------------------------------ TOP Subject: さるさるネットへお邪魔させていただきます 小林 完 From: me4k-kbys@asahi-net.or.jp (kobayashi.kan) もうすでにメールが流されて、恐縮します。 寅児さんは、初演に行っているのですね。 わあーもうそんな、時期になっていいるのですね。 (このところ春のボケ続きで・・・)   ところで、私が患者に陥った(?)のは、92年の6月です。京都ではそのころあまり 知られていなかった(?)マルセさんを、清水寺の講堂に迎えて、そう舞台は当然会 場の中心に位置するものですから、後ろはありがたい仏像が安置されている前での公 演になったわけですが、それが成功した時からです。なにしろ、マルセさんのことを 言葉で説明するのは難しいので、「来ないと縁を切る」と実行委員会の普及方針を立 てて、脅かしながらの動員。そのころ関西では公演の回数も少なかったのかな?大阪 からも来てくださり、講堂が満員になりました。(来た人からは感謝されるし・・・ 変な気分) で、あとの打ち上げがまた奈落の道へ引きずり込まれる場と化し、その時から京都で のマルセ公演が次々と続くのであった・・・・。 はたして、今回の新作も、京都では観れないのか? と、いま周りからも圧力がかか っています・・・。(前の芝居もこちらではなかった) で、で、遅れましたが、 初日公演の成功おめでとうございます!! なんて言ったって初日。このまま広島までなだれ込んでくださいな。 <<花・花・花・花・花・花・花>>   その最中に、5月3日、京都で、大蔵流狂言役者の茂山千之丞さんとのジョイント公演 があります。こちらもぜひ成功させたいです。 内容はお二人とも芸の達人なので、まったくのフリー。(千之丞さんは、あの山本安 江の「夕鶴」の与ひょう役もやっています) どんな舞台になるかと、わくわくなの ですが、こちらは会場が大きので、ぜひ観に来てくださいな。と、宣伝です。   本日は、富山ですね。明日は福井。京都素道理で名古屋・大阪・広島へ。うーむ、京 都としては・・・・。 ボケボケと、モンモンの桜の散った京都からです。 以後よろしくお願いします。     TOP 97/2.25 「がんばれ マルセの会」 新原ますみ/福岡市 マルセ太郎様   「生きる」の舞台、有り難うございました。本当に素暗らしかったです。 立命館での『泥の河』の感動から数年を経て、主催者側としてマルセさんをお迎えする ことができ喜びもひとしおでした。   去年の4月から藤井の下で映画や舞台を人に観てもらう仕事につきました。私は、年に 数百本観る程の‘映画好き’ なのですが、作品の感動を伝える事はとても難しいです。心の中で生まれた歓びや怒りな どを言葉に上手くできず、 イライラしてしまうのです。結局口から出るのは、「よかったけん、絶対みにいきぃ」 (良かったから絶対観にいってね。) 「くそっまらんけん、いかんどきぃ」(とてもつまらない映画だから行かないほうがい いよ。)というような情けないセリフ。 監督や役者の名前を‘物知りげ’に語ることはできても、映画の本質について漠然とし か理解できていないのです。 マルセさんの『スクリーンのない映画館』を観て、打ちのめされました。自分は映画の 何をみていたのだろう? 人にどれだけのことを伝えられたのだろう?  打ちのめされて、だけど元気になりました。映画がもっともっと好きになりそうです。 映画の製作者、配給者、劇場の人にマルセさんの舞台を観てほしい。映画をかつては愛 しだけど現実の厳しさに押しつぶされそうな人達に。 映画への愛を忘れかけた人達 に。  交流会でマルセさんの話をお聞きして、マルセさんは‘映画への愛’とその感動を伝 える確かな技術’をお持ちなんだなと思いました。 ‘確かな技術’をマルセさんの人生そのものが磨いてきたのだと感じました。きっと映 画サークルの皆にも、励みになったことと思います。 マルセさんにシビレました。 マルセさんに惚れました。 マルセさんの舞台を観たい。マルセさんの語りを間きたい。 又お会いできる日を心待ちにしています。     Subject: [saru 9] 私が中毒になったわけ  97年3月11日泉井 昌子    私が中毒になったわけ 「スクリーンのない映画館」のなかで、私が見たことのある映画は「息子」だけ でした。あらすじはわかっていても、マルセさんの演じる芸は、また新たにウキ ウキできるのです!;父の上京;の場面のなかの永瀬まさとしが和久井えみに、 {お前、きれいだな・・・。}というところのマルセさんが好きです。マルセさ んは、頭をちょっと左に傾けながら、なんとも言えない表情をなさいます。  わたしが、中毒になったわけは、きっと、いろいろな映画であの表情をみたー い!と思う欲張りなわたしの性格なのでしょうか? TOP    品川 敏樹 toshiki@mxh.meshnet.or.jp   数年前に名古屋に居た時に、20人位しか入れない小さなホ−ルで 初めてマルセさんの『泥の河』の上映を見ました。新鮮な驚きと興奮を 覚えました。その時に発病したのです。次に従兄弟の木村弁護士の出版 記念パ−ティで静にグラスを傾けていらっしゃるお姿をお見掛けしました。 その時に晋介君からマルセさんの事を詳しく聞きました。一緒に出席されて いた故人・色川武大氏が絶賛しているんだとも聞かされました。それで益々 病気は重くなりました。そして、昨年広島であの『花咲く−−』で止めを 刺されてしまいました。もっともっと回復不能状態にしていただきとうござ います。   もう、10年以上前に当時住んでた名古屋の20人ぐらいしか入れない ちっちゃなホ−ルで全く予備知識なしの状態であの人の熱演を永六輔の 司会で拝見して以来立ち直っていません。闘病生活も長くなりました。 いろんな新薬も試してみましたが、全然効き目がありません。最悪の状態に なったのは昨年『花咲く家の物語』を見てからです。もう一生完治しないと 思っていますので、上手に病気と付き合って行こうと決心しました。 広島、もしくは関西、九州方面で上演の予定はないのでしょうか。こうなった ら色んな方を巻き添えにして同病相憐れむ状態にして人生を楽しみたいと思い ます。ヒヒヒ−−。   デジタル、パソコン、インタ−ネット、CD、モバイル、などとこれらの文字を 見ない日はない世の中ですが、そういった最先端のカタカナ文字を見れば見るほど、 何故か逆に味噌汁、沢庵、漬物、納豆、故郷、蒸気機関車、瓦、田んぼ、柿ノ木、 三橋美智也、美空ひばりと言う言葉を無性に懐かしがる自分にふと気が付きます。 ここ数年間はそんな状態が続いていました。 そういった時に何気なく全くの予備知識なしにあの「花咲く家の物語」を見てし まいました。もう、興奮して、身体が震えて、涙が止まらなくなり、 ついに突発性猿面症候群という完治しない大病に罹ってしまいました。 迎い酒という言葉があるよなといいつつ昨年二日続けて、泥の河とライムライト を見てしまいました。追い討ちをかけたようで病状は悪化するばかりでした。 今、大企業が多額の不良債権を処理しようとしていますが、僕の不良債権は溜まる 一方で処理不可能となっています。そういった矢先にまたまた中毒の会の世話人 の方から、7月13日にあの教祖様が広島に来られるとの連絡がありました。 遂にとどめを刺されそうです。もう15回を戦い抜いてノックアウト寸前の悲劇 のボクサ−の気分です。耳の遠くで微かにアリスのヒット曲・チャンピオンの歌 が聞こえています。立ち上がるんだ、もう一度、立ち上がれ、命を燃やせとか いっているようです。大きなお世話だよともう一人の僕が言っています。 この病は罹った方がいいのだ、治らなくていいんだと言っています。 もう頭の中はぐちゃぐちゃです。どなたか迷医を紹介して下さい。
富山県砺波市 宝田(ほーだ) 実 tstad@p1.coralnet.or.jp で、 私が病気になったわけ・・・? 私が、もののわかる人だったからですよ。 よいもの、よくないもの。 大人であるということ。 うそと現実の扱い方。   それはともかく、初めて見たのはNHK教育テレビの「泥の川」 その後、富山の胴元、真酒亭みゃあらく村田氏、および 砺波のダンディー、くまの洗濯堂さんに誘われ、 マルセさんの隣で飲むという機会をいただいたり、 直筆のハガキをいただくなど、感動を繰り返し頂戴し、 いつのまにか病気が慢性化して今に至ります。   昨夜(1999・9・5)砺波での「生きる」、圧巻でした。   マルセさんの圧倒的な「リアリティ」に、 とにかくこれからも、ついてゆきます。
99.9.11, Fujiyasu wrote: 藤井康広 913-0062福井県三国町南本町3−3−20 > 医療法人聖仁会藤井医院 > 0776−82−1113 FAX 82−5779 > 自宅82−2788 携帯0908-702-0393 > <http://www.mitene.or.jp/~fh-sowa>http://www.mitene.or.jp/~fh-sowa > > 福井県三国町の藤井です。 > メーリングリストに初登場です。 > 2年前の春に「スクリーンのない映画館」の主催をしました。 > そのときには、ご存知「泥の河」「生きる」をみました。 > なかなか見る機会がないので、ビデオをそろえましたが、 > 「息子」やはりなかなかいいです。 > 夜中いい大人が一人で忍び笑いをする、異様な状態です。 > 「花咲く家の物語」以来のファンで、そのクライマックスに登場する > 病院のシーンの点滴台は私の診療所からの、出演です。 > 「花咲く家の物語」「イカイノ物語」すばらしい演劇ですね。 > マルセ喜劇のファンは北陸にもかなり多いのです。

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