「母の綾取り」 1993.1.23 日経・夕刊より

 ずうっと大阪の弟のところにいた母が、老人性痴呆、いうところのボケになった。それで僕たち夫婦が面倒を見ようと、昨年四月に引き取って、いま一緒に住んでいる。八十一歳になる。ボケとはいっでも軽い方で、問題になっているアルツハイマー型ではない。知人の顔も識別でき、孫たちの名荷も覚えている。ほとんど喋らないが、単純なことなら、こちらの言うことが分る。一日中おとなしくしていて、僕たちが世話をするのは、おむつの取り替えと風呂に入れることくらいである。

 それでも初めのうちはてこずった。ボケ特有の徘徊癖だ。夜中物音で目覚めてみると、母が、玄関のロックしたドアをカタカタいわせている。言いきかせて部屋に連れ戻しても駄目で、放っておくと一時間でもそうしている。うつかりドアのロックを忘れたりすると、もう母は家の中にいない。あわてて自転車で近所を探し廻ることが何度もあった。母は、ボケになる以前から脚腰が弱っていて、何かに捉まらないと歩けないのだが、その脚で、塀や電柱に手をかけながらも、一心に徘徊するのだ。ちゃんと目的地に向ってるかのような足取りである。そばに寄って「どこへ行くんや」と声をかけたら、びっくりしたような眼で僕を見上げ、「大阪」と当り前のように答えた。僕はいら立つ気持を露(あら)わに、「大阪までどないして行くつもりや。お金は持ってんのか」と意地悪く追及すれば、母はポケットをまさぐり、さも困ったなという顔で、「無い」と答えるのが、おかしくもあり、腹立たしく情なくもあった。 根気よくしつけた効果があって、いまでは外に出ようとはしない。その代り、狭い家の中を、落ちつきなく徘徊している。

 母を引き取って早々、女房のきょうだいに不幸があって、彼女は四日ほど家をあけ、僕が母の世話に残ったことがあった。その時、たまたま東京に来ていた、青森の若い染色家田沢たか子さんが、泊りこみで家事を見てあげると言ってくれたので、その親切に甘えた。たか子さんは、優しく母の遊び相手になり、紐で輪をつくって綾取りを誘った。そんなもの出来るわけがないと、僕がそばから見ていると、母は面白くもなさそうな表情でそれに応し、何と、五手までやってのけたのである。

 これには驚いた。眼を見張る思いだった。母は韓国済州島育ちの、いわゆる在日一世である。僕は子どもの頃から、母が綾取りをする姿なんて見たことがない。いまは亡い妹がいたが、その妹とでさえ、そんな遊びをしたことはなかった。ただ、働き通しだった母しか知らない。

 済州島の貧しい暮しの中で、母にも少女時代があったのだ。綾取りはその頃に楽しんだものだったのだろう。亡き父に嫁ぐため日本に渡って来て以来、何十年もやったことのない綾取りを、ボケてはいても、いやボケているからこそ、母の体はしっかり覚えていて、遠い少女時代の日々を、僕に語ってくれたのである。


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