別世界 1993.4.17

 トリオを組んだばかりのころ、よくストリップ劇場をまわった。十日間興行で、一日四回の出番である。当時は、いわゆる"特出しストリップ"の全盛期で、どこでも盛況だった。中でも横浜鶴見の「別世界」劇場は異常なくらいだった。

 とても信じでもらえない話だが、日曜日など、午前十一時の開演に、六時ごろには十人ほどの客が列をつくっていたのである。だから劇場側も、開場を九時に繰り上げざるを得なかった。それでも三時間は表で待たされることになるのだが、そうまでして、かぶりつきや花道のわきの席を取りたいのだ。あたりまえの時間にきた客は、椅子席で見るなんて出来やしない。

 四百ほどの収容人員だったが、ぎっしりの立ち見客で埋まってしまう。入れ替えなしだから、一日中ねばって席を動かない客もいた。それを劇場従業員が見つけ、長い竹の棒で頭をたたきながら、立ち見客に席をゆずれと命令するのである。どこの世界に、金を払った客の頭をたたく商売があるか。いや実にあさましい様子だった。

 その「別世界」の楽日を終えで、翌日からの「岐阜セントラル劇場」に乗り込むため、僕たちは横浜駅に向かった。深夜十二時近くに出る鈍行の夜行列車で行くのだ。ホームに上がると、すでに何人かの踊り子さんと、その"ヒモ"たちがいた。すると向こうの方から、四十代くらいの、一見して頭の弱そうな男がひょっこひよっこやってきて、踊り子たちに「お姐さん、こつちですよ」と、正しい乗降位置を教え、彼女らの衣裳鞄を運ぶのである。その行為は、われわれが舞台に出てる者だと知っていての親近感にあふれていた。彼は僕のそばにきて、恐れるように訊いた。

「ショーのお兄さんですか」

「そうだよ」と答えると、「岐阜セントラルに行くんですね」。よく知っている。彼は「いいなあ」と心底うらやましそうに僕たちを眺め、「ぼくはダメだなあ」とうなだれたかと思うと、いきなり拳骨で自分の頭をガツンとなぐったのである。びっくりした。骨にひびでも入ったのではないかと思うくらい、力一杯だった。一瞬呆然としたら、何事もなかったかのように、彼はひょっこひよつこと立ち去つた。

 後日、また「別世界」に出たとき、劇場支配人にそのときのことを話した。

「ああ、あいつか。前にうちに出たことあるんだよ」

「やつはり芸人だつたんですか」

「芸人たって、何も出来やしない。細い鉄棒で自分の頭をなぐる芸しかなかった。うけるわけがない。客は白けるよ」

 かなしい話だった。どこに住み、何で食べでいるのか誰も知らない。劇場の楽日になると、芸人や踊り子たちがその夜行列車に乗り込むことを知っていて、ホームにやってくるのである。鉄棒の代わりに拳骨で、彼は僕たちに"芸"をやって見せたのかもしれない。


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