街頭易者(1996.7.19 週間「金曜日」) 

 まるっきり仕事がなく、芸人商売に見切りをつけようかと迷った頃、それほど本気ではなかったが、街頭易者になってみようかと考えたことがある。いけそうな自信があった。要は、話術ではないかと思ったからだ。

 よく、当たるも八卦、当たらぬも八卦といわれるが、大体当たるものである。何故かというと、お金を払って易を見てもらおうとする客は、すでにその行為のうちに、当てられたがっているからである。たとえば、「あなたは、親との縁が薄いですね。」と言われて、そんなことはない、親との情は密であると思っていても、そう言われれば、お互いに離れて住んでいるから、そのことを縁が薄いと言っているのだろうと、進んで解釈し、「当たっています」と答えてしまう。いい人なのである。

 昔、客を舞台に上げて、催眠術をかけて見せる芸人がいた。客は簡単に催眠にかかり、言われるままに鳥になり、両腕を羽ばたかせて舞台をかけ廻ったりする。八百長ではないかと疑りたくなる。これだって、客は舞台に上がった瞬間から、催眠をかけられたがっているのである。人は、余程の根性曲がりの性格でない限り、相手に恥をかかせたくないという心理が働くものだ。だから、眠くなる、眠くなると催眠をかけられると、案外簡単に眠ってしまう。自ら進んで協力していることになる。はじめっから悪意を持って、「馬鹿野郎、こんなものにかかってたまるか」と構えたら、絶対にかかるものではない。「おれは催眠術なんかにかからない」と自慢する人は、単に性格の悪さを示しているだけだ。

 それと同じで、易を見てもらおうとする客は、その段階で、易者に組みこまれていることになる。ひやかしの客でない限り、「何だ、ちっとも当たってねえじゃないか」と、易者に恥をかかせることはしない。ましてや、客のほとんどは、悩み多き若い女たちだから尚のことである。彼女たちは、話をきいてもらいたいのであって、それを上手に引き出す話術があれば、何だって当たったことになる。

 その頃、「新宿の母」と呼ばれて評判の街頭易者がいた。ちょっとしたブーム現象で、いつも若い女の客が、長蛇の列をなしていたのを、何回か目撃したことがある。「新宿の母」が特によく当たるから評判になったとは、僕は考えていない。きっと、話術がすぐれていたに違いないと思っている。説得力があり、良き相談相手だったのだろう。そのことを確かめるために、一度見てもらおうと思ったことがあったが、男が一人もいない、あの女の列に加わる勇気がなかった。

 キャバレー廻りをやってた頃、よくホステスの手相を見てやった。といったって、手相のことなんて本も読んだことがない。座興である。それでも、二つだけは必ず当たる。その一つは、もっともらしく手を見て、「ああいかんな。君は惚れちゃいけない人に惚れてるな」これが不思議とぴったり当たるのだ。「やっぱり?よく当てたわね」

 彼女は誰を思ってか、しんみり言う。どうせ相場は決まっている。女房持ちか、ヤクザっ気のあるプレイボーイか、そんなものだろう。でも、「つまらん男に惚れてるな」なんて言い方はしてはいけない。それでは当たらない。「惚れちゃいけない人」と言ってあげると、「当たった」と返ってくるのだ。

 二つ目は、どんなにケチで貪欲な女にでも、

「君は、人にものを頼まれたら、イヤとはいえない性分だね」

 と言ってあげる。間違いなく百パーセント、

「そうなんだわ。よく分かるね」

 とくる。何が「そうなんだわ」だ、このドケチが。以上二つを切り出せば、あとは思いのまま、君は易者になれる。

 僕が芸人をやめて街頭易者に転じていたら、いま頃、「新宿の父」になっていたかもしれない。

(千九百九十二年 室内)

 

それは私です。

 むかしは旅の列車の中で、たまたま隣り合った、あるいは向かい合った席の見知らぬ同士が、話しかけたり、かけられたりする風景がよく見られたものである。いまではほとんどない。蒸気機関車の消滅と共に消え去ったものか。

 そんなことに郷愁を感じているのも、僕はまもなく六十歳になるが、われわれ年代限りであろう。もっとも若い人たちに言わせれば、他人から話しかけられるのは煩わしくてかなわない、といったところかもしれない。

 先日の夜、大阪から東京に帰る新幹線の車中でおもしろい人に遭った。

 同年代に見うけられるその人は、三人掛けの窓際の席にいて、僕の席は通路側で間は空席である。車内に乗りこんだときから、その人は僕の注意を引いた。あきらかに、“鳶のひと”とわかるいで立ちであったからだ。それも並ではない。一分のすきもなくきまっていた。

 色白のきりっとした顔立ちで、薄くなった白髪頭は短く刈りこんである。小柄だが筋肉質の体格に、絞り染めの半袖シャツ、ひざのあたりで太くなったズボンが脛の上部で締まっていて、足にぴったり、ふくらはぎまでの深い革製の直足袋できめている。おかしいくらいにそれは“いなせ”で、若いころ観た新派の舞台を思わせる。

 京都を過ぎたあたりで僕は席を立ち、びゅっへに行って、缶ビール、ミニサイズ瓶のウィスキーと弁当を買って席に戻った。上着を脱いで間の空席においたとき、やはりそこにおいてあったその人の小さなバッグにかかったので、失礼と目で言い上着をわきに寄せた。その人も、いやいや構いませんという目で小さく笑った。瞬間、この人は話したがってるなと感じたが、そのままに僕はビールを飲みはじめた。名古屋を過ぎたころには、弁当も食べ終えた。しばらくして車内販売が通りかかると、「ねえさん」と呼びとめて、その一つを僕に差し出した。

「いや、あなたがうまそうに飲んでらっしてるのを見ましてね」

「これはどうも」

 遠慮なく頂戴した。やっぱり話したがっていたのだ。僕がその人のいなせな作りに世辞を言ったら、相好をくずし名刺をくれた。思ってたとおり鳶職である。いかにもそれらしい書体で小山某とあり、住所は日本橋浜町である。「江戸っ子」だ。親代々からの稼業で、頭と呼ばれてるらしい。僕は名刺をもたないことをことわり、芸人であると名乗った。もちろん僕の名を知るはずがない。

 すると小山さんは「そうですか」と、したしみをこめて感じ入り、あらためて僕のことを「師匠」と呼ぶのがおかしかった。同じ町内に、江戸家猫八さんがいて、付き合いのあることや、ことに玉川スミさんとは、むかしからのひいきで、浅草演芸場によく花を贈ったなどと、僕の知ってる芸人の名前が次々と出てくる。なかなかの通である。八年ほど前につぶれた、いわば僕らの拠点であった浅草演芸場は、こういった下町のファンで支えられていたんだなと、あらためて思った。

 話がちょっと途切れそうになったとき、小山さんは言った。

「そう言や、なんて言いましたかな。サルの滅法うまい芸人がいましたね」

 やっと出てきた。

「それはわたしです。マルセ太郎です」。

(千九百九十三年三月十日 「室内」)


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病院で思ったこと

 今年の一月九日、肝臓の半分を切り取るという手術をうけた。癌である。肝臓の場合、手術が可能な状態で癌が発見されるのは、極めて幸運なのだそうだ。肝臓は、もの云わぬ臓器といわれ、自覚症状が起きない。したがって、早期発見が難しいということになる。

 運がよかった。きかけは胆石である。肋骨あたりに激痛が走り、はじめに運びこまれた病院では原因がわからず、千葉県柏市にある「国立がんセンター」に移った。甥がそこで消化器科の医師をしている。

 肝臓に通じる胆管に石がつまっていることがわかった。そのときの検査で癌が見つかったのである。もし、胆石による痛みがなかったら、と思う。担当の外科医K先生の診断では、C型肝炎による胆癌発生で、いまなら手術可能だと云う。実にあっさりと、癌であることを告知された。

 手術の日、別段こわいという気持ちは起こらなかった。むしろ、ストレッチャーに乗せられて手術室に向かう途中、身をゆだねることの快感みたいなものが感じられた。それでもさすがに、手術台に移されたときは、これから始まるのだという緊張感が体中にみなぎる。真っすぐ天井をにらみつけたままだから、左右で動いている筈の医師や看護婦の姿は眼に入らない。頭の真上に、映画やテレビでよく見る、トンボの眼ん玉みたいな照明器があるが、まだ明かりは点いていない。それまで着ていた寝間着を脱がされ、手術をする局部を開けた布が、体を覆ったのがわかる。何やら鼻に差しこまれた。


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Be動詞 中学生のみなさんへ

 僕は1933年生まれですから、中学生になったのは敗戦の翌年でした。

 生まれ育ったのは大阪です。戦争による焼け跡の中、食べ物に不自由していた頃でしたが、それでも中学生になった喜びがありました。電車で通学するため、定期券を持つのがえらく嬉しかったのを覚えています。科目別に先生が変わることや、小学校ではクラスを、一組、二組と言っていたのが、A組、B組という、つまらないことまで、何か未知の世界が世界が広がっていくように思えたものです。

 中でも英語が習えることに、わくわくする期待感がありました。しかしこの期待感はすぐに挫折しました。やはり難しかったのです。

 僕らは単純に、英語の単語さえ覚えれば、それをそのまま日本語とおきかえて、英語ができるものと思いこんでいたのです。君たちもそうでしたか。ところが知っての通り、そうはいきません。主語が変わると、アムとか、アーとか、イズという、つまり「Be動詞」が変化することや、他にもややこしいことが多くでてきます。どうして、アムならアムだけで統一しないのか。僕たちを“勉強”させるため、わざと面倒にしているのではないかと思ったほどです。

 Be動詞というのは何なのでしょう。僕らは英文のamの下に、「デス」と仮名をふって日本語に訳していました。現在(いま)でも「デス」と教えられているのですか。

 大人になってから考えました。あれを「デス」と教えてはいけないのです。大切なことは、Be動詞を、日本語にはないのだということを、まず教えるべきです。

 ではBe動詞とは何か。「存在」なのです。アイアム。私は存在している、ということです。有名なシェイクスピアの劇、「ハムレット」に出てくる台詞があります。“To be or not to be”生きるべきか、死ぬべきか。“to be”で、生きることを意味しています。つまり存在することが生きることなのです。

 話しを急転回します。よくみなさんは、自信をもて、と教えられていませんか。ことにスポーツの世界では、指導者たちが、自信ということを強調します。先生も親も、上に立つ人は、何かというと自信をもてとあおります。もしかしてみなさんも、自信をもつことが正しいものと、受け入れているのではありませんか。

 自信て何でしょう。僕は嫌いです。むしろ害悪だとさえ思っています。なぜなら、それは他と比較する上で成り立っているからです。彼には負けない自信がある。この中では一番になる自信があるとか、すべて競争の論理で成り立っています。

 こういう自信は、他を差別する優越感にひたり、また逆に、理由のない劣等感に落ちこんだりするのが常です。

 それでは自信は必要ないのか。そんなことはありません。生きるため大いに必要なことです。そこで言いたいことは、「Be動詞」への自信をもつということです。

 アイアム。アムへの自信です。私は存在しているのだ、ということの自信です。ユーアー。あなたは存在している。ヒーイズ。彼は存在している。ここに優劣の比較はありません。負けない自信なんて、くそ食らえです。

 フランス映画『仕立屋の恋』の中で、アパート中の住人から嫌われている主人公に、刑事が訊きます。

「お前はなんだって、みんなから嫌われているんだ」

 主人公は答えます。

「わたしも、あの人たちが嫌いです。」

 これがBe動詞への自信です。


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