母のこと 1993.4.10

 前にも書いたが、八十一歳になる母は、いうところのボケである。眠っている以外は一日中、すっかり弱ってしまった脚で、そのへんに手をかけながら、ゆうらゆらと家の中を徘徊している。たまには食車のいすに腰かけて、しばらくポーッとしていることもあるが、また思い出したように音もなく歩き始める。たとえはわるいが、檻の中の動物のごとくである。

 そうしながら、こまごまと仕事を見つける。息子たちが脱ぎちらかした衣類を、一つひとつていねいにたたんで積み重ねておく。体の記憶がさせているのだろう。僕が子どものころ、きれい好きの母が、乾いた洗濯ものを取りこんで、そうやつでいた姿が思い浮かぶ。

 ほとんどしゃべらない。何かを要求することも、逆らうこともない。静かである。かつては一日中テレビを見ていたのに、いまでは全く関心を示さない。おむつの取り換えやふろに入れるときも、おとなしく指図されるままに体をあずけでいる。食欲だけはおう盛で、めし粒一つ残さずきれいに平らげる。

 しかし、母は完全にボケてしまったわけではない。いつか母を洗面台につかまり立ちさせ、おむつを取り換えている最中に失禁されて、思わず僕が声を荒立てたとき、母はいかにも情なさそうに泣いた。ことばに出さないだけ、哀れでならなかった。

 ところが家内が同じようなことをやっても、母は泣かない。不思議そうな顔でとぼけでいるのだ。ちゃんと息子と嫁の区別をしているのである。たまに僕がおどけて、何かの仕草をまねたり踊ったりして見せると、手を口にあてて声を出さずに笑う。それは幼女のようにかわいい。また母は客好きで、面食いである。狛江で「ライブ」を運営しでいる並木君がやってきて、「おばあちゃん、こんにちは」と笑顔で声をかけると、顔中喜びを一杯にして、うれしそうにうなずく。並木君はハンサムで優しいから、母の最も歓迎するお客である。

 お客といえば、こんなこともあった。ある日、並木君の紹介で家内ともども親しく付き合っている秋田の染色家田中ゆきひとさんが訪ねできた。その日、僕は旅で家に居なかったが、家内は上がってもらってお茶を出した。

 そのうち田中さんが、僕の出ているあるテレビ番組のビデオを見たいと言ったので、テレビのある二階の居間に彼を案内した。台所で洗いものを始めると、母がやってきて、客は帰ったのかときく。「二階でテレビ見ている」。家内はそう答えた。二階は子どもたちの部屋だから、母は上がったことがない。それに脚腰が弱い。

 洗いものを終えた家内は、二階に上がって田中さんと一緒にテレビを見ていた。途中で何気なく階段の方に眼をやると、何と母が這ってきて、こちらをうかがつていたというのだ。亭主の留守中にやってきた男を怪しみ、弱った脚で這うようにして、階段を一段一段上がる姿を想像しただけでおかしく、そしてかなしかった。


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