函館旅情

1993.3.27 

 

 二十年以上も前のことである。そのころの僕は、「スタミナトリオ」という名のトリオを組んでキャバレー廻りをしていた。

 函館のキャバレー「未完成」に一週間出演した。われわれのランクは低かったから、泊りは、海辺にある店のホステスさんたちの寮の一室だった。風呂も銭湯通いで、食事は外食である。こういう待遇は、芸人のランクによる差がはっきりしていた。幸いにして僕らはトリオだったから、お互いに気をまぎらせて苦にならなかったが、一人だったら滅入っでしまったことだろう。三人だったから、寮にいるホステスさんたちも気安く遊びにやってきたりして、結構楽しく過ごすことが出来た。彼女たちに教わってでかけた食堂のおじさんやおばさんも親切でいまでは珍らしくない「ほっけ」のうまさも知った。遊びにやってくるホステスさんたちの中に、「あけみ」という子がいた。年はまだ十七歳でやや大柄の眼の大きな子である。キャバレー勤めをするようになって日が浅く、店で見る彼女のドレス姿は、周りの姐さんたちにまじると頼りなげであった。化粧も野暮ったくいかにも"水商売"には不向きで痛々しかった。若くはあっても、客うけはよくなかったようだ。

 ところが昼間の彼女は、屈託のない明るさがあっで陽気だった。化粧

のない顔は、年相応に子どもっぽくあどけない。みんなの話に入って、ちょっとしたことにも笑い転げる。朝早くやってきて、まだ寝ている僕たちのふとんをはぎ、「ね、みんなして海見に行こう」とはしやぐ。

 ある時、いつものように僕らの部屋で、あけみちやんもまじえ、五人ほどのホステスさんたちとお茶を飲んでいた。話題が土地のことになった。経済成長のあおりで、土地が高騰を続けていたころである。東京の住宅地が、一坪(三・三平方メートル)当たり四、五十万にもなったと驚いたのも、いまは昔の話だ。

 年かさのホステスさんが、「土地が百坪もあったらいいねえ」と言ったとき、あけみちゃんがぽつんと言つた。「長万部(おしやまんべ)の土地だばいらねえ。玉葱植えても腐るし、ネギ育たねえし」

 この言葉がどきんと僕の胸にひびいた。手に届くはずのない土地のことを他愛もなくしゃべっている大人たちの中ヘ、あけみちやんの言葉はぐさっと突き刺さった。それは彼女の生い立ちからくる真実の言葉であった。

 キャバレーにくる前、あけみちゃんは牛の牧場で働いていたと言う。「ベコは頭がわるくて、いうこときかねえんだよ」

 そう言って、牛にやられた腕の傷跡を見せた。僕は麦わら帽をかぶって牛を追う彼女の姿を想像し、たずねた。

「あけみちゃんは、牧場で働いてるのが一番似合うよ。どうしてキャバレーなんかにきたの」

「弟が中学に入ったからね。銭ん子送らねばならないんだ」

 あけみちやんは屈託なく笑った。


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