半家出

1993.5.29 日経新聞

 

 「家出娘」とか「家出少年」という言葉を聞かなくなっで久しい。われわれのころの子どもは一度は"家出"を夢見たものである。僕も"半家出"をした。

 中学二年のときだったから、昭和二十二年のことである。家族は、大阪市生野区の長屋に住んでいた。父は家で「セルロイド研磨業」をやっていたが、前年に脳出血で倒れ、入院していて、母が父の仕事を継いだ。長男である僕は、学校から帰るとすぐに母の手助けをしなくてはならない。それが不満で、母との口争いが絶え間なかった。

 反抗期の子どもによくあることで、僕は貧しい家に生まれた自分を美化し、母を憎んだ。母を悲しませてやれと思った。そこで家出を考えたのである。東京に行こうと思い立ち、おそらく起こるだろう、将来の苦労美談を想像してヒーローの気分に酔った。

 そのころ、母の遠縁にあたる"闇屋"のおばさんが一カ月ほど同居していた。金にはひどく貪欲なそのおばさんを僕は軽蔑していて、「どうせ闇商売で稼いだ金だから構うもんか」と、罪の意識もなくおばさんの金を盗み家出を決行した。あとで大さわぎになったが、大した金額ではない。東京までの旅費と、ちょっと余分にあったくらいである。

 夏の日だった。当時の東京行は、夜行列車を利用するのが普通で、いまのように座席指定なんてないから、発車時刻の三時間も前から並ばないと席はとれない。タ方大阪駅についてみると、もう長い列ができていた。切符を買って並んだ。

 いよいよ家出かと思うと、急に心細い気持ちになった。何か読むものを買ってこようと、後の人に順番を頼み、駅前広場に出た。あのころの大阪駅前は、バラック建てのマーケットがあり、そこに本屋があった。中に入って、僕は街動的に総合雑誌「改造」を選んだ。大学生にだって難しいのに、中学生に読めるはずがない。東京一人旅立つ気負った気持ちが、そうさせたのだろう。本屋の主人が、「お兄ちゃんのお使いか」とほほえんだのに、「いいえ、ほくが読むんです」と答えたら、「へえ、えらいな」と感心された光景を、いまも覚えている。

 駅に戻って列に入り、「改造」を読み姶めた。たった一つ、中学生の

僕にも理解出来た論文が羽仁五郎だつた。

 発車時刻がせまって列が動き出した。体が緊張した。改札で切符を見せたら、「急行券は?」と間かれた。ええっ、急行券が必要だと知らなかったのである。せっかく長時間並んだのに。あわてて急行券を買いに走った。表に出ると外はすっかり暗くなっていて、夜空に星が出ていた。突然に涙があふれた。悲しんでいる母の顔が、弟や妹の顔が浮かんだ。病床にある父を思うと、もうたまらなかつた。

  星の流れに身を占なって

  どこを寝ぐらの今日の宿

 僕の家出計画は、あっさり挫折したのである。


目次に戻る