記憶は弱者にあり

  芸人だがら、公演先などで、色紙になにが書くようにと頼まれることがある。そんなとき大体、「記憶は弱者に在り」と書くことにしている。

 ことさらの意味があるわけではない。あたり前に言葉通りのことである。たとえば、子どものころよくいじめられた子は、大人になってからもそのことを憶えているが、いじめた方の子は忘れている、といったようなことである。

 このことは、単に個人的体験にとどまらず、国と国との間にも通じている。日本に侵略された朝鮮人や中国人は、その歴史的事実を決して忘れないが、多くの日本人は、それを忘れるか、忘れたがっているのが現実だ。文部省の、社会科教科書検定の姿勢に、そのことが露骨に表われている。敗戦五十年にもなろうというのに、戦争中アジア各地から慰安婦を強制的に狩り出した事実を、日本政府は正式に認めようとしない。相手国からいわれて渋々腰を上げている状態である。

 記憶は弱者にこそある。芸人に限ったことではないが、芸人として僕は、弱者への想像力を大切にしたいと考えている。どんなにすぐれた才能のある人でも、何かで成功した人でも、弱者への想像力に欠けるところがあるとしたら、僕はその人を尊敬しない。

 中学三年のときに、初めて当時の総合雑誌「改造」を読んだ。「改造」は、とても中学生には理解できない難しい雑誌だったが、たったひとつ、羽仁五郎(歴史家、一九八三年没)の論文だけは読めた。それだけ平易な文章だったのである。その後現在にいたるまで、ずうっと忘れることがなく、何かにつけては思い起こし、人に話してもいる。それはこんな内容だった。

「戦争前の日本は貧しかったから、小学校を卒業した百人のうちから、大学に行けたのは一人であった。としたら、その一人は、あとの貧しい九十九人のための学問をしなくてはならない。ところが実際は、九十九人を支配するための学問をやったのである」

 強烈な印象をうけ、敗戦によってもたらされた、新しい民主主義時代に希望をもった。それが、論文らしい文章を読んだ最初だったかもしれない。そして僕の、ものを考える基幹の芽になった。

 「弱者への想像力」ということを、ええ格好しいだと思わないでほしい。第一、僕はちっとも格好よくない。まもなく六十歳になるが、五十になるまで芸で食えなかった、無名の芸人である。むしろ、「ひがみ根性」だと思われた方が当っている。

 尚、ひがみをいうと、僕はゴルフはやらないし、またやる人を好まない。ゴルフをやる人は、考えてみたことがあるのだろうか。いま日本にゴルフ場が二千あるといわれている。六大都市をはずせば四○県、一県に五○もあることになる。一県に五○、これを異常と思わない想像力の貧困さをどう理解すればいいのか。

 現実論というのがある。強者の論理である。これを読んでいる若いあなたが、現実的な「成功」を望んでいるのだったら、僕なんかのいうことを相手にせず、強者の仲間入りに励んだらいい。僕は自分の考えを押しつける気は毛頭ない。

 しかしあなたが人間としての幸福を求めるなら、目先の現実論にまどわされず、理想をもち続けるべきだ。どうか弱者への想像力を大切にしてもらいたい。何も恐れることはない。世俗的な欲望にあくせくしているうちに、よしや出世したとしても、僕ぐらいの歳になると、みな並ぶものである。一様に体力が衰えるがらである。このことは、若いあなたに体験的に自信をもっていえる。自分が生きてることの奇跡を思え。理想をバカにすれば、必らすしっぺ返しをくうのである。


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