1993.1.9 日経・夕刊より

マルセ太郎エッセイ「好男子」

 一度だけだが、僕は警察の留置場に一晩泊められた経験がある。それも中学三年の時だった。昭和二十三年ということになるから、まだ世の中は食糧難の時代だ。その頃の都会に住む大人たちは、ほとんど“買出し”をやった。この“買出し”という言葉には、本来の意味とは別のニュアンスがある。この事を、若い人に理解してもらうのは面倒だが、当時は、戦時中からしかれた統制経済だった。食糧は配給制になっていて、米は三人当りの量が定まっており、公定価格が決められていた。配給以外の売買は、統制法違反で罰せられる。闇行為といわれ、そこから得た米は、配給米に対して闇米と呼ばれていた。

 しかし事実は、誰しもが闇米を食っていたのである。配給米だけでは生きられないからだ。ある地方判事が、法を司る者が違法をしてはと、頑として闇米を食わず、配給米だけで通したため餓死した事件は有名である。都会の者は、田舎へ闇米を“買出し”に行くことになる。そうでない者は、「問屋」から買う。もちろん公定価格ではない。その時の相場の闇値だ。“買出し”は違法だから、警官に捕まると、没収されてしまう。

 大阪育ちの僕は中学一年の時から“買出し”をやった。病床にある父と、三人の子どもを抱えて働く母を助けるのが、長男である僕の務めであった。つらいとは思わなかった。むしろ面白かった。なかなかすばしこくて、いつも警官の眼からうまく逃げ、捕まった大人たちを感心させて得意だった。それが初めで捕まったのである。

 香川県下で米を買って、婦りの汽船に乗り、翌日の明け方神戸港に着くと、すでに桟橋では警官が張っていた。いやも応もない。狭いタラップを下りる“買出し”たちは芋づる式に捕まえられ、近くの水上署に連行された。大勢が廊下に並ばされ、何人かずつ室(へや)に呼ばれて処分を受ける。取締りの厳しい「葉たばこ」などを運ぶ常習犯でない限り、ただの米くらいでは処分は軽い。没収されて始末書で済む。ましてや僕は子どもだ。でも僕は隙を見て、米を背負ったまま裏の階段から逃げた。家で待っている母を思うと、どうしても米は持って帰りたかったのだ。脱走は成功し、ドキドキする胸を押さえて早朝の街を走った。

 阪神線神戸駅にたどり着き、急いで切符を買って改札に向うと、二人の私服が待っていた。ガチャン、手錠をかけられた。たかが“買出し”くらいで、それも子どもに。運れ戻される間、僕は口惜しくて泣いた。脱走したから悪質と見られたのか、それとも別の罪状が加わったのか、しつこく調書を取る刑事が憎かった。お前だって闇米を食ってるじゃないか。本籍住所、それから身長、体重まで訊かれ、刑事がチラッと僕を見上げ、次のように書いたのを覗き読みした。

 「色浅黒く好男子」

 とたんに僕はその刑事を許した。本当はいい人なのに違いない。その晩留置場に泊められ、翌朝略式裁判を受け、あっさり釈放された。

 「色浅黒く好男子」、あの調書は、今も残ってるわけはないだろうなあ。


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