多分、高度経済成長期といわれたあたりからだろうと思うが、〃押し売り〃という言葉を聞かなくなった。
昔は、漫画の題材に、この〃押し売り〃がしばしば登場したものである。ひげ面の人相の悪い男が、玄関の上がり框(かまち)にどっかと腰を下ろし、トランクから雑貨品を取り出して、
「昨日、刑務所から出たばっかりなんだ。奥さん、何かひとつ買ってやつてくれ」
と、凄んで見せる。それを、しっかり者の主婦が機転を利かせて撃退するというのが、一般的なパターンだつた。サザエさんの漫画にもよく出てくる。われわれの問でも、「押し売りコント」というのがあって、コントの初歩の〃教科書〃だった。家の玄関に、「猛大に注意」とか「押し売りお断り」という貼り紙がしであるのをよく見た。押し売りは、町の生活の風物でもあったのである。
僕らが子どものころ住んでいた長屋にも、押し売りは毎日のようにや
ってきた。漫画に出てくるような凄んで見せるというのは、あまり見たことがない。同情を誘う、哀れっぽい演出が多かった。売る品物は大体がインチキの粗製品だから、どこの家のかみさんも、はなっから手を振って相手にしない。うちの母もそうだった。断られて帰っていくのを見て、僕は子ども心に、買ってあげればいいのに、と深く同情したものである。
子どもを連れて歩く押し売りがいた。僕が中学一年のころで、その押し売りの男は、小学校三年生くらいの女の手に、「徳用マッチ」を売らせていた。実の親子ではなかったと思う。その売り方が、それまでに見たのとは変わっていた。いまから考えると、実に巧みな演出である。
少女は、「徳用マッチ」を入れたかごを提げて、ともかくどこかの家に入る。そして、その家の者が出て来ようが来まいが、次のような文句を、買ってくれるまでくり返すのである。
「おばちやん、マッチ買(こ)うてんか、父ちゃん死んで母ちゃん病気。おばちやん、マッチ買うてんか、父ちゃん死んで母ちゃん病気。おばちゃん−−」
いつまでも、無表情で単調な節をつけて続けるのだ。幼い子どもだから、乱暴に追っ払うわけにはいかない。かといって放っておくと、いつまでもやめない。仕方なしに買ってしまうということになる。値段は忘れたが、公定価の十倍はしたと思う。マッチが不足していた時代である。売れて出てきた小女に、男が何やら指示しているのを、僕は目撃した。
戦後の、焼け跡版「マッチ売りの少女」物語として、僕には強く記憶に残っている。
十何年か前、浅草演芸場でこの話をし、漫談らしいオチをつけた。
「ときには思うことがあります。あのときの少女、いまどこでどうしているかと。そしたら、偶然会いました。初めて入ったバーのマダムになつているのです。
僕が入ると、〃お客さん、ビール飲んでんか、旦那死んで子ども病気〃一