難 聴 1993.3.6
僕は子どもの頃から耳が遠く、それが年と共に高じ、十年ほど前から補聴器を使っている。この補聴器というのが、期待したほど完ぺきには出来ていない。間きたくない雑音はやたら大きく響くのに、肝心のコトバが聞きとれない。劇場で、そばの人がいじる紙の音なんかは、神経がいらだつほど間こえてくるが、役者のせりふが間こえない。いや、音としては入ってくるのだが、コトパとして聞きとれないのだ。だから、周りで笑いが起こっても、なぜ笑ったのか分らないまま一人とり残されることになる。
もっとも僕の場合、病的に難聴というわけではないから、話す相手によっては補聴器を必要としない場合もある。よく仕事で御一緒する永六輔さんとは、補聴器なしで十分に話すことが出来る。声の大小もあるが、発声の仕方にもよるのだろうと思う。
そんなわけだから、初対面の人と話すのが苦痛である。初めての人に、そうたびたび問いなおすことは出来ない。話の腰を折ることになる。それで適当に相づちを打ってごまかずのだが、ときには相手に妙な顔をされることがある。質問されているのに、僕は「なるほど」なんて肯いているのだ。
困るのは、聴覚が鈍感なため"聞き下手"になることである。話の本筋から外れたところで、ひょいと出る相手の言葉を聞きとれず、それに対して即妙に答えられない。相手が複数の場合なおさらである。その結果、自分がしゃべっている方が楽なので、一方的にしゃべることになる。これは僕のような職業の人間にとって大いに欠陥だ。いつかテレビのトーク番組に出たことがあるが、やはり駄目だった。僕は人の話を聞くのに、ほとんど眼で聞いている。その表情から読みとるのだ。テレビの場合、大体が横に一列に並ぶ位置になっているから、いちいち身を乗り出して発言者の顔をのぞき見なくてはならない。これでは聞きとるのに精一杯で、座談に加わることが出来ない。
よく眼のわるい(近視)人は、眼鏡を外すと色っぽいと言われる。女優では松坂慶子さんなんかそうで、男優でも昔は森雅之さんがそうだった。僕の周りにも、何人かそういう女性がいる。ところが耳のわるいのは、色っぽいとはいかない。昔のことだが、夏の夜、ある女性とドライブしたことがある。川の堤で車を停めた。聞けた窓から涼しい川風が入ってきた。星が出ていて、ちょっといいムードになった。彼女は小声で何かつぶやいた。こんなとき大声では話さないものである。それにこみ入った話なんかするわけがない。多分「川風って涼しいわね」ぐらいのことを言ったのだと思う。適当に相づちを打つか、黙って聞きのがしても、どうってことはなかったのだ。それを僕は、「ええっ?」と聞いた。彼女はやはり小声でくり返した。ああ、バカだな僕は。さらに「何だっで?」と聞き正したのだ。彼女は、「もういいっ!」。ムードはぶちこわしで、車はUターンしたのである。