一昨年の十一月、僕たち夫婦の結婚三十周年記念旅行を、娘がセットしてくれた。一泊目が北海道の登別温泉、次の日の午前中に洞爺湖、その夜を札幌で泊り、翌日市内見物をして、夜の飛行機で帰る小旅行である。それでも女房は、小学生の遠足みたいな気分で、予定のかなり前の日から楽しんでいた。思えば、夫婦二人だけの観光旅行は、新婚のとき以来である。
公演で旅馴れている僕と違って、女房は、平凡な風景にも一々感嘆し、街並を物珍しそうに歩いたりして、旅を新鮮に楽しむ風がある。それと、すぐ誰とでも友だちになってしまう。登別から洞爺湖に向う定期バスでも、シーズン外れのウイークデーだったから、他に乗客は、土地の人らしい中年の婦人一人だったが、すぐに連転手と「友だち」になって、ちゃっかり観光案内をさせてしまった。
洞爺潮でもそうだった。「札幌行」のバスが出るターミナルの待合室で、煙草を喫っている間に、女房は売店をのぞいたりしていたが、そのうち姿が見えなくなったので、あたりを探すと、コーヒースタンドで何やら食べながら、スタンドのおばさん二人と笑い合っていた。寄って行くと、「このひと。うちの旦那」
女房は、可笑しそうに蓮っ葉に言う。もう話を聞かされていたらしいおばさんは、
「結婚三十年だってねえ。いいねえ、こうして旅行して。うらやましいわ」
ほんとにうらやましそうに言ってくれた。
「あんたも何か食べたら、これあんまん。おいしいよ」
女房がすすめるので、僕は肉まんを注文した。二人が交わす短い会話を聞いて、別のおばさんが、
「でも、なんか夫婦に見えないわ。愛人みたい」
愛人、と言われたのが癖しかったのか、
「いやー、愛人やて」
と、女房は大阪弁ではしやいだ。
「ほんとよ。ねえ」
「世帯ずれしてないもん。三十年て信じられない。若いですねえ」
「奥さん明るくていいですね。旦那さん、毎目楽しいでしよう」
おばさんたちは、心から感じ入った様子だった。僕はテレた表情を見せながらも、旅先の束の間の、世辞をうけて心地よかった。そのまま、バスを一台おくらせようかと思ったくらいだった。あんまん、肉まんの代金百八十円を払って、おばさんたちと別れた。札幌の夜の街を歩いた。食事のあと、どこか静かな雰囲気のところで飲みたいと探した。束京にある同じ名の、シャンソンクラブがあったから、そこに入った。時間が早いのか閑散としていて、長いカウンターに、一組の客がいるだけてある。テーブル席もあったが、初めての店は、カウンター席が無難だと、貧乏性の僕は知りていたから、カウンターについた。これが間違いだったのである。カウンターの中に、間をおいて三人のウエイトレスがいたが、僕たちの前に立ったのは、四十近い地味な服装の女であった。ウィスキーの水割りを注文した。こういった場合、ウエイトレスにも飲物を推めるものかどうかと迷った。先客の方を眺めやると、若いウエイトレスは、何も口にしてる様子はなかった。それでも一応はと、「よかったら、君も何か飲んだら」と言ってみた。すると待っていたように、「おビール頂きます」と、カウンターの下でガチャンと音を立て、細長のグラスにビールを注いで、僕たちのグラスに合わせた。
「前にいらしたことあるんですか」
と訊いてきたから、
「いや、東京から旅行中なんだ」
と答えた。そして結婚三十周年記念旅行だともつけ加えた。しかし、「ああそうですか」と言ったきり、彼女はそのことに興味を示さなかった。そして、こちらが水割りをお代りしないうちに、グラスをあっさり空け、「おビール頂きます」。「どうぞ」と答えると、下でガチャン。生ビールなのだ。誰とでも「友だち」になる女房は、彼女に全く話しかけなかった。会話にならない、途切れ途切れの言葉を入れながら、カウンターの女は、ガチャン、ガチャンと音を立て、その度びに伝票をつける。こっちの飲むテンポに合わせようなんて気遣いは、まるでない。三人の歌手が続いて唄ってるショーの間にも、「頂きます」、ガチャン。初老を迎えた夫婦連れに、一つの世辞もない。シャンソンは、人生の唄ではないのか。立ち上がった僕たちに差し出された勘定書は、二万いくらである。あんまん、肉まん百八十円の、洞爺湖のバス夕ーミナルのおばさんたちは、
「愛人みたい」と言ってくれた。肉まんを食べる度び思い出す。
有難う、おばさんたち。