おとろしや(1993.2.27) 

 名古屋の大須演芸場はいまも、ある。ようやってると思う。賃席にしたりして、細々ながら経営を維持しているようだ。演芸場だけでなく、かつては栄えた太須観音さん前の商店街も閑散としていて、活気がない。

 大須演芸場がまだ賑わいを残していたころまで、僕はよくここに出ていた。あれは二十年も前のことになるだろうか、びんからトリオが「女のみち」で売り出したころだった。

 そのときのトリは、大阪慢才の長老、嵯峨乃家喜昇夫妻だった。昔からのパターンで、奥さんが椅子に腰かけて三味線をひき、喜昇さんが立って、民謡なと唄いながら掛け合いをする。

 楽屋ではみんな、この師匠のことを"おとろしや"と呼んでいた。な

ぜ"おとろしや"かというと、喜昇さんは持ち時間にお構いなく延々とやり、なかなか舞台から下りてこないのである。普通十五分、長くて二十分の持ち時間を、四十分で下りればいい方なのだ。

 舞台は一応、締めの唄で終るのだが、終って深々とお辞儀をする。このお辞儀が また丁寧だから、客は儀礼的にも大きな拍手を送る。するとこの師匠、

「ようけ拍手をいただいたな。そない喜んでもらえたんなら、もう一つ行きまひょうか」

「か?」と言われて、もういいなんて客は言わない。強い拍手が起こる。それではと、次の節になり、終って深々とお辞儀。それにまた客の拍手。拍手されるとさらに、

「今日のお客さん、ええ客や。よっしや、も一丁行ったれ」

ともう一節。きりがない。"おとろしい"というわけである。おかげで僕なんか、進行係から「マルセさん、悪い。七分で上げで」と何度も頼まれたものだった。

 僕には、お年寄りに親切にする"美徳"があって、何かとこの師匠の話し相手になったのがいけなかった。当時はみな楽屋泊りで、僕らは深夜三時ごろまで麻雀をやり、そのままゴロ寝をするのが常だった。朝十一時半開演だが、出番によっては昼過ぎまで寝ていられる。あるとき、昼過ぎまで寝ていたのを、楽屋へ話しにきた喜昇さんに見とがめられた。

「ええ若いもんが、なんちゆうこっちゃ。あんた観音さん拝んだことあるか」

「いいえ」

「ここに出てて、すぐ近くの観音さんにお参りしたことないんか。そんな心がけではあかん。あした一緒にお参りしましよう。朝はええ空気やで。起こしにきたる」

 その夜も麻雀で、朝のご三時に寝た。ところが、死んだように眠っている僕の体をゆするのがいる。簿目をあけて見ると喜昇さんだった。

「マルセさん、お迎えにきましたで」

 午前四時半である。それでもお年奇りにやさしい僕は、ぼうっとした頭で起き、師匠夫妻と並んで早朝の街を歩いた。

「どや、ええ気持やろ」

「久しぶりに朝を見ました」

 それから楽日(らくび)まで、早朝の観音さん参りが続いたのである。

ああ、おとろしや。


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