親のないもの
1993.6.19 日経新聞
小学校四年のときの組にHという子がいた。彼はおそらく、大人になつてからも、決してあたりまえの人生を歩んではいないだろうと十分に想像されるので、あえてHと匿名にする。
僕らが育った町は低所得者が多かった。うちも例外ではない。そんな家の子の僕から見てもHのところは貧しかった。しかも彼は〃まま母の子〃である。いまでは離婚は珍らしくなく、したがって、継母によって育てられる子どもが、そのことで特別の眼で見られることはないだろう。ところがわれわれの少年時代、〃悲劇の子〃の代表は、まま母の子、つまりまま子だった。紙芝居なんかに出てくるまま母は、きまって鬼のような形相をしており、まま子を虐待した。虐待をうけるまま子は、やさしく美少年というのが相場である。僕は、自分がなぜそんな不幸な生い立ちでなかったのかと、まま子にあこがれたものである。
離婚は少なかったから、生母の天逝による父の再婚からくる場合が普通で、Hのところもそうだった。亡き母を美化し、まま母を憎むことになる。しかしHは紙芝居とはちがって、美少年ではない。むしろ醜かった。
Hは自分を、悲劇の主人公との思いこみが強く、そん素振りをことさら見せた。学校から帰ると、継母の生んだ赤ン坊の子守りをさせられるのだが、近所のかみさんが「子守りか、えらいな」と声をかけると、「うん」と衰れっぽく返事をし、背中の赤ン坊をあやす。それは見てて、子ども心にも厭らしかつた。Hは盗癖があり、ときにはえげつない性の話をするから、先生や級友に嫌われていた。ことに女の子は誰も彼に近づかない。
僕は彼とよく話した。それは、彼が芝居の話を聞かせてくれるからである。役者のまねがうまく、ことに浪曲は天才的にうまい。
当時の小学校には体育館がなかったから、雨天のときの体操の授業は、自習時間になった。ときには先生も退屈で、「話し方の時間にしよう」と生徒にもちかけることがある。最初に指名されで、級長が教壇に立つ。級長は町の金持の子で、本や雑誌をたくさん買ってもらっている。彼はそこで覚えた童話などを得意気に語るのだが、これがうけない。標準語でやるからなおさら人気がない。
先生が「次は誰だ」と教室を見まわずと、いつせいにHの名があがる。こんなときには人気があるのだ。Hは自信たっぷりに出る。まるでプロの芸人である。そして浪曲をうなりはじめた。これがあたりまえに、「森の石松」かなんかをやれぱいいのだが、生意気にも創作である。自分を悲劇の主人公と見立ててうたったのだ。いまでも初めの部分の文句を、僕は覚えている。
へ親のない者手をあげよ。言われた生徒七十五名のその中で、坊やが 一人手をあげた。親がないと馬鹿にすな、親はおります極楽に
教室の中がじめっとした。先生は「あとはこの次に」と途中で制したのである。