パリーで(1993.6.5 日経新聞)

 フランス映画「天井桟敷人々」は、僕にとって青春である。初めて観たのは、高校を卒業したころだった。

 この映画のはじめに、こんなシーンがある。劇場が建ち並ぶ通称"犯罪大通り"を、ヒロインのギャランスが歩いているのを見つけて、俳優であるフレデリックが、今風にいうナンパをかける。そんなことには馴れているギャランスは、微笑を浮かべながらも適当にあしらって、

「じゃあね」

とわきの道を行きかける。フレデリックは末棟たらしく、

「せめて、いつどこで会えるかぐらい教えてくれないか」

と追う。

「縁があったら、また会えるわよ」

「縁があつたらつて、パリーは広いんだぜ」

「好いた同士には、パリーも狭いのよ」

 ギャランスはあっさり去って行く。このところの会話が好きだ。こんなナンパ風景が現実に見られたら楽しいだろう。

「好いた同士には東京も狭いのよ」。

こんな言葉を返されたら、振られてもいい。ところがいつかぼくが目撃したのは、若い男が女の子にしつこく、

「よう、お茶しない。なあ十分でいいから。五分、五分でいいよ。ちぇっ、ブス!」

 ああ、貧しいなあ。「お茶しない」なんて日本語はいつできたのか。映画は後半のシーンでも、愛する無言劇役者バチストと結婚し一子をもうけたナタリーに、やはりフレデリックが六年ぶりで会う。

「やあナタリー、美しくなったね」

「美しくなんかないわ。ただ幸せなだけよ」

「美と幸福は一致するものさ」

 随所に文学的言いまわしが出てくる。こんな会話は、映画の上だけのことなのか。それとも、フランス人の日常の暮しの中にもあり、それが映画に反映しでいるのだろうか。十二年ほど前、あるテレビ番組の仕事で、初めでパリーに行った。一週間の日程である。

 撮影が早く終ったその日の夜、僕たち四人の出演者は「クレジーホ−ス」のショーを観ることにした。われわれのガイドをしてくれている、パリー生活の長いM氏の車で行った。

 開演時間がせまっでいたため、M氏はやたら路線を変えたり、乱暴な運転で急いだから、交叉点であわや衝突しそうになった。間一髪急停車して難はなかった。こちらが一方的に悪い。相手の車は、五十年配の婦人が運転していた。当然その婦人は文句を言う。M氏は頭をたれたまま聞くしかない。ところがその文句が長いのだ。その間、後続する車の列もおとなしく待っている。「何やってんだ」とクラクションを鳴らしたりしない。やっと解放されて、僕はM氏に何と言われたのか聞いてみた。その婦人が言った文句は、

「わたしはパリに生まれて五十年になるが、今晩のあなたほどのおバカさんを見たのは初めてです。あなたの行く先、きっと神様が罰を加えるでしよう。くそったれ!」

 だった。長い文句もおかしいが、それを待っている、お互いの後続車もおかしい。


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