シニア料金
映画ほど安上がりの娯楽はないと思う。いうまでもなく、人間はたった一度の人生しか生きられない。おれにはもっと別の生き方があったのではないかと思っても、やり直し不可能である。それを映画は、二時間ほどの時間に限ってではあるが、別の人生を体験させてくれると言えるのではないか。
主人公に共感し、本気で怒り、泣き、または喜ぶ。体中に緊張感がみなぎり、はらはらドキドキもする。映画が終わって幸福感にひたり、しばし席を立てないこともある。
こんな楽しいことが、たったの千八百円。もっとも僕などシニア料金(六十歳以上)だから、千円である。有難いと思っている。
始めのうちこのことを知らなかった。いまでも僕の周りでは知らない人が多い。人に聞いて、多少気がひける思いでチケット売場に立ち、小声で、「シニア」と言ったら、無造作にチケットを出されたときは、ガッカリした。「免許証か何かお持ちですか」と訊かれたら、僕は嬉々として運転免許証を示しただろう。
こんなこともあった。青森の某映画館である。チケット売場には、こと細かに料金が掲示されている。大人、学生、子ども料金はもとより、中学生料金まであるのだ。なのにシニアは書かれていない。もしかして、地方によってはないところもあるのかと、恐れながら、「シニア料金はないんですか」と聞いたら、無愛想に引き出しを開けてチケットを出してくれた。それと知らない客には従来通り千八百円もらっておこうという計算なら、これまた貧しいことである。
東京では昔から有名な、売れ筋ではなくとも、ヨーロッパやアジアの名画を長期にわたって上映している映画館がある。場内で飲食する客は一人もいない、落ちついた雰囲気で好きな映画館である。ここにはシニア料金はない。だってここは、いつも客の半分はシニアなのだから。