葬儀二題
1993.5.8
歳をとってくるとやはり、知人の訃報に接することが多くなってくる。五年前、親友金平雄之助の尊父金平軍之助氏八十三歳で逝去した。軍之助は、戦前戦中にかけて活躍した俳優である。
池袋にある雲照寺で、通夜と告別式が行われた。通夜の席はにぎやかで、となりにいた老婦人が気さくに話しかけてきた。この方がなんと「徳川家」の大奥様だったのである。金平宅は戦前から目白にあって、故人は俳優を退いたあと、地元の福祉活動につくしていた。その問係で、近くに邸のある徳川家との付き合いがあつたようである。
「軍之助さんは、なかなかの美男子でしたよ」
そう言って笑う老婦人を見て、
「世が世なら」と、僕は平凡なことを思つた。
翌日の葬儀は型通りに行われ、その日のうちに、初七日、四十九日の法要が営まれた。火葬場から戻って五十人ほど集まり、お経もすみ会食になつたところで、「おやじは俳優でしたから供養になると思います。みなさんの前で芸をやつていただけませんか」
故人の長男聖之助さんが言うので、それではと立ち上がって、僕は三十分ほどの芸をやった。場はすぐ寄席と化し、参会者は大喜びで、お坊さんまでが、お経を上げていたときの神妙な顔とうって変わって、笑い転げたのである。葬儀の席で"お笑い"をやったのは、僕もはじめてだつた。もうひとつ別の話で、二年前にやはり俳優の中村伸郎氏が亡くなられたときのことである。中村氏とは、一観客として知るのみで直接お会いしたことはない。ただ氏の二女である女優の中村まり子さんとは親しくしており、何回か同じ舞台に立ったこともある。
新聞で訃報を知ったのだが、記事では、故人の遺志により密葬にするということ、献花、香典など一切辞退するとあったので、どうしたものかと迷ったが、「ジァン・ジァン」の内田さんと相談して、ともかく行ってまり子さんを慰めようということになり、通夜に赴いた。原宿にある中村氏のマンションへ伺うと、喪服姿の列が、それでも結構続いていた。
表はもちろん、二階の御宅に上がる階段の途中にも、見事なくらい献花はなかった。部屋に上がると、白い花で飾られてあったが、お坊さんもお経もない。線香もなし。故人の遺体は棺(ひつぎ)に入っておらず、低いベッドに、うすいふとんを掛けて仰向けに寝かされており、あたかも病人が眠っているごとくであった。枕元に煙草と灰皿がおいてあり、弔問者は正座して拝み、お別れの煙草を喫うのである。多分、生前病院で喫煙を禁じられていた故人に代わって、喫ってあげるということなのだろう。だから弔問者もあっさり一服というわけにはいかない。三服は喫わないと形にならない。それも十分、間をおいて。したがって弔間客の列の歩みはゆっくりしたものになる。
普通とはちがった通夜に参列して、故中村伸郎氏の強い意志に感動した。