“恋なんて簡単よ”『天井桟敷の人々』と僕
名画「天井桟敷の人々」の監督マルセル・カルネが九十歳で死去した。新聞でそのことを知るまで、僕はうかつにも、とっくに故人になっているものとばかり思っていた。
それほど遠い昔の映画であり、ずっと長く僕の心に巣食ってきたのである。“天井桟敷”は僕の青春だった。このことは、昭和一ケタ生まれの世代なら、多くの人が同感してくれるだろう。
●高校卒業の年に
たしか日本での封切りは一九五二年だったと思う。僕自身高校を卒業した年で、大阪の千日前にあったオリオン座で観(み)た。新劇俳優を志していて、やがて上京したが、七つの劇団すべての試験に落ちて希望がかなえられず、現在あるように芸人の道に転じたのである。
潜在的なきっかけは、この映画にあった。僕はこの映画で初めて、パントマイムという芸を知った。窃盗の疑いをかけられたギャランスのために、バチスト(ジャン・ルイ・バロー)が、パントマイムで無実を証言する。そのマイムを真似(まね)て、同級生たちに見せて遊んだ。その後、来日したマルセル・マルソーの公演を観て、一九五六年、日劇ミュージックホールに、パントマイムでデビューしたのである。由(よ)って、マルセ太郎と名付けられた。
十年ほど前から、「スクリーンのない映画館」のタイトルで、一本の映画を丸ごと語り演じるという芸をやってきており、“天井桟敷”もレパートリーに入っている。
●刺激的なセリフ
フランス映画はことに、知的なセリフがふんだんに出てくるが、“天井桟敷”はまさにその宝庫である。
初めてギャランスとバチストがキスを交わしたとき、震えるバチストの耳元でギャランスがささやく。
「恋なんて簡単よ」
このセリフは、高校を出たばかりの僕には刺激的だった。いまでは死語になっているだろう、プラトニックラブを信じていた思春期の僕は、女が不可解に思えて悩んだ。ギャランスがバチストを愛しながら、軽薄なフレドリックと同棲(どうせい)するのが理解できず、バチストに同情し、フレドリックを憎んだ。また、僕の周りにもいた、多くのフレドリックを憎んだのである。
●自分の姿重ねて
大人になってから、これが逆転した。ギャランスの誘いに応(こた)えず、彼女を抱きもしないで部屋を去るバチストが、アホに思え、そのことに、若い頃の自分の姿を重ねた。
「恋なんて簡単よ」
ああ、もっと早くこのことを分かっていればよかったのにと、今更のように後悔している。
三年前に初めて芝居を書き、自分も出演して渋谷ジァンジァンで上演した。公演は成功で、楽日のカーテンコールで挨拶(あいさつ)する言葉を、前もって考えていた。
「芝居なんて簡単よ」
しかし、となりに立っている、俳優歴四十年の納谷悟朗さんの顔を見たら、言えなかった。やっぱりおれはバチストだ。