1993.1.30 日経・夕刊より

マルセ太郎エッセイ「天国と地獄」

 

 昨年は申年だったがヽその前の申年のはじめ、僕は一時テレビで売れたことがあった。どうってことはない、僕の得意ネタのサルの形態模写が、きわもの的に評判になっただけのことである。今年は西年なのでついでに言えば、トリの形態漢写も得意ネタにしている。

 申年で売れるきっかけになったのは、前年の暮れにフジテレビで放送された花王名人劇場の「一芸名人集」だった。そこでサルをやったのである。その頃、われわれ売れない芸人の主な収入源はキャバレーだった。ところが、その仕事がまるで無い。キャバレーが廃れつつある時期でもあったが、僕の場合、元からキャバレーを苦手にしていたからなおのことである。生計は、女房と二人ではじめた酒場稼業で、どうにか立てていた。

 そんな時に、珍らしくキャバレーの仕事が入った。北海道を、北見、旭川、名寄と、それぞれ三日間ずつ回って歩くのである。

 皮切りは北見のキヤバレーだった。初日の一回目のステージは、最も得意とするサルをやった。これがうけなかった。サルを演じている姿を想像していただければ分ると思うが、これをやってうけないときは、どんなに屈辱的なことか。客ははなからショーを見ようとはせず、ホステスと騒いでいるだけだ。お客さんのせいにしてはいけないとは知りつつ、腹の中でののしりながら楽屋に戻ると、店のマネージャーがやっできて、東京から電話だと言う。斡旋してくれた芸能社からだった。

「ああ、マルセさん。そこね、もうやんなくていいから。それで次、旭川だったよね。それまで適当に宿とって、旭川よろしくお願いします。寒いから休に気をつけて」

 言葉はやさしかったが、キャバレーにキャンセルされたのだ。旭川に入るまでの二日間、自前で宿をとらなくてはならない。横なぐりに吹雪く旭川の街を、安宿を探して歩いた。情ない気持で、歳末大売出しの、街の賑いがうらめしかった。旭川でも、キャンセルこそされなかったものの、客のうけはよくなかった。

 日曜日は休みで、月曜からの名寄に入るには時問がある。街をぶらついていると、向かってきた一台の車が、キーッと音を立てて、歩道の僕を過ぎて停った。何事かと振り返ると、窓から顔を出した若い男が、何やらこちらに向かって叫んでいる。寄ってみると、

「マルセ太郎さんでしょう。サインして下さい。ゆうべ見ましたよ“花王名人劇湯”。すばらしかったですよ」

 そうか、昨夜だったのか、放送日は。すっかり忘れていた。

 名寄駅に着くと、キャバレーの若社長が、ニコニコと丁重に迎えてくれた。店には大きく「花王名人劇場のマルセ太郎来たる」と書かれた横断幕が張ってあった。三晩とも大うけだった。わすかの間に、芸人の地獄と天国を見たのである。


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