1993.2.20 日経・夕刊より
「うれし涙」
僕の熱烈なファンで、岡部康平という人がいる。四十過ぎだが、東京・渋谷区に住んでいて、職業は、“ゴリラ便”という名の便利屋の経営者である。
便利屋はそれこそ何でも屋で、大工仕事や引越しの手伝いはもちろん、チケットを買うために徹夜で並ぶことやら、座席取り、パーティーでの仮装踊り、大の散歩、何でも請けてしまう。いつか聞いた中には、一人暮らしの孤独な女性の部屋で、一日中話相手になるというのがあった。冗談に僕が「行く行く」と言ったら、「マルセさんみたいな、よこしまな考えのある人は駄目」と断られた。
誰でもいいというわけではない。若いフリーアルバイターが大勢登録されていて、岡部さんは、それぞれの向き不向きを判断して、人を派遣するのである。それにしても、話し相手になってくれという注文があるなど、ちょっと考えられないことだ。
岡部さんを知ったのは、五年ほど前、渋谷のジァンジァンでの舞台を観てもらったのが縁だった。それ以来、ほとんど欠かさず観にきてくれている。面白い人で、アルバイトの希望者たちを連れて、僕の「十時劇場」の舞台を見せ、その感想を聞いた上で、常時採用するかどうかを決めるのである。すっかり“マルセ信者”になってしまっている。舞台がはねた後、みんなを連れて、その頃僕たち夫婦がやっていた酒湯で、深夜おそくまで飲むのが習わしだった。
若い人相手に、僕一人の独演会になるのが常で、岡部さんはまた、それを楽しみにしていた。ときに僕が本気で説教するのを、よくぞ言ってくれたと、そばで喜んでいる。“ゴリラ便”のある場所柄、東大教養学部の学生なんかもまじっていた。
昭和天皇が亡くなってしばらくした時である。東大二回生という学生が、「天皇が亡くなると年号が変るということを、初めて知りました」と言ったのだ。僕は呆れた。
「アホかお前は。それでよく東大に入れたな」
すると彼は、何でもない風に、
「ぼく、世界史取りました」
いやァ、これには参った。世界史か、なるほど。十字軍戦争やフランス革命は知っていても、日本の歴史は御存知ない。歴史なんでものじゃない、年号は常識じゃないか。高校のときはどうしたのだ。一度は日本史は習ったろう。そうか、東大一直線の君は、受験科目ではない日本史は眼じゃなかったのだ。それでも君は、やがて東大出のエリートとして、俺たちの指導的立場に立つのか。酒の酔いもあって、かなり強く彼を詰(なじ)った。すると彼はワアワアと泣き出したのである。
後日、岡部さんに会ったとき、「この間は悪いことしちゃった」と詫びたら、「いや、あれはうれし涙ですよ」と言う。帰り途、彼がそう言ったというのだ。彼は小学校の頃からほとんど首席で、他人からはもちろん、親からも叱られたことがない。初めて本気で叱られたのがうれしかつたと。
ほんとかな。