わるいやっちや(1993.6.26 日経新聞)

「スクリーンのない映画館」のタイトルで、映画を語り演じるという芸に取り組んでから九年になる。きっかけになったのは、宮本輝原作、小栗康平監督の「泥の河」で、僕のもっとも得意とするレパートリーになった。昭和三十年代の大阪安治川を舞台にした、少年たちの束の間の友惰を描いた名作である。

 八年前、当時二十六歳だった酉垣博君の世話で、京都丹波にある養護学校に行った。彼はそこの教員をしていた。学校の文化祭に、「泥の河」をやってほしいという手紙をもらって、すぐに承知したが、内心ためらいがあった。養護学校の子どもたちに、はたして僕の芸が理解できるだろうか。かなりの重度障害者もいると聞いていた。

 西垣君は僕に、「いつもと同じようにやってください。言葉遣いもここの子に合わせる必要はありません。世間一般で行われているものを、そのまま観せたいのです。理解できなくてもいいんです」と言いきつた。そのことの意味は僕にもわかるが、しかし決して易しいことではない。客席の後方には父兄や教職員たちがいるから、せめてその人たちにうけれぱいいと舞台に上がった。でも、やはり駄目である。それは無理だ。子どもたちの注意力は緩慢で、やたら身体が動く。しゃべり合っている子もいる。いくら西垣君が、「理解できなくていいんです」と言ってくれたからといっで、僕は芸人である。無反応の客の前で、平気でいられるはずがない。絶望的になった。映画の語りは、校門前のシーンにきた。のぶちゃんの帰りを待つているキッちやん。彼は運河に浮かぶ"宿船"の子で小学校には行ってない。のぶちゃんが、三、四人の級友と校門を出てきた。この子たちの間ではすでに話ができていた。その中のガキ大将で金持の子。その子の家にテレビがあり、これからみんなで見せてもらえるのである。昭和三十一年という当時、まだ一般の家庭にはテレビはなかつた。テレビがあるのは相当の金持である。のぶちゃんはキッちやんを指しで、「この子も連れ、て行ってええか」と金持の子に間く。その子はキッちゃんの貧しい身なりを見て、「あかん!」と突き放す。ここのところで異変が起きた。客席の一番前にいた重度障害児、首が曲がっでいて指先もつっぱったままの子が、不明瞭な発音で、

「わるいやっちゃ、わるいやっちゃ」

 とわめき出したのである。憎思にみちた眼で、舞台の僕を睨みつけながら不自由な腕を振りまわしている。彼には、話の中の人物と、演じている僕との区別がついていないようだった。意地悪をしたのが僕であるかのように、非難し続けるのだ。それを、隣りにいたやや障害の軽い子が、「だまれ、だまれ」とおさえている。

 僕はしばし立往生した。不覚にも涙が出てしまった。筋の説明や描写を聞かずとも、そこだけの会話で十分、彼の想像力は刺激され、映画の中の子どもを感じとっていたのである。


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