マルセ太郎のスクリーンのない映画館

黒澤明監督「生きる」のイントロダクション

1999年2月24日 於:クーニーズガーデン・ミントンホール(福山)

ジャンプ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 (暗転)本編

その(1)

こんばんは、マルセ太郎でございます。今夜の黒澤明監督の「生きる」という映画は

ですね、1952年に封切られまして、僕自身が高校を卒業した年で、そのころは映画最

盛期の頃で、同じ年にあのチャップリンのライムライト、それからフランスの映画「

天井桟敷の人々」、そういったものが次々と上映されました。今から思うと本当に懐

かしき時代であります。さて今夜の「生きる」については、お客さんのほとんどが、

だいたいの内容をご存じだと思います。主人公がですね、それまで無為に過ごしてき

た、そしてあるとき自分が癌である、もう余命が幾許もない、半年か一年、そこで生

きるとは何かということを真剣に考えはじめた、というふうに受け取られていますね

。まさにこの生きるとは何かという大テーマにまっ正面から取り組んだヒューマニズ

ム映画、僕自身も最初はそんなふうに受けとめた。そして、それから何回か見まして

、歳をとっていくにしたがって、この映画の見方は少し変わりました。たしかにそう

いった内容の映画ではあるんですが、実はこの映画はですね、じつに優れた人間喜劇

なんです、というふうに考えた。特にこの映画の後半の場面、通夜の場面は、そこだ

け切り取っても一幕ものの喜劇になる。実は僕は別に芝居も書いているんです。で、

その、ある芸人の通夜という内容で今年の正月、東京でその劇をやったばかりです。

あの主人公がですね、癌とわかって生き方を変えたということが、はたして現実的か

どうかということを思うんですよね。実際にはそうじゃないんじゃないですかねえ。

例えば、ある男がいまして皆から普段あの野郎はけちだけちだと言われた男がいると

しましょう。もう一円のお金も惜しい。出すものは絶対出さないというけちな野郎が

、あるとき癌だと言われた。もうあと半年しか寿命がないとわかったとき、よーし、

じゃいま貯金して貯まっている一千万のお金を全部パーと使っちゃうかというと、使

わない。相変らず一円一円と歩き回るんじゃないかと思うんです。人間というのは、

そういうおかしくも悲しいものです。なかなか変えられない。また、変えることがで

きるという人が、それまでの人生を無為に過ごすはずがないんですね、それくらい意

志力があれば。ですから、この映画は黒澤明のいわば理想というふうに受けとめます

。ということは、実は僕自身が今もそうなんですが、肝臓癌なんです。この体験を通

じてまさにそういったことを感じました。癌だと知って、それから生き方を考えよう

、もう遅い、手遅れです。皆さんが今、健康な状態のうちに、まだまだ歳が若いうち

に、やっぱり本気で生きるというのはどういうことなのか、折りに触れては考えるべ

きではないかと思うんです。幸福とは何か、そういったことが切実な問題となってき

ます。

 

その(2)

肝臓というのは、よく言うんですよね「沈黙の臓器」と。なかなか教えてくれないん

ですよ、具合の悪いことをね。痛いとか何とか言わない。ですから、ほとんどの人は

肝臓癌が見つかったときには、もう手術は不可能なんです。で、僕の場合、なんでそ

れが早く見つかったかと言うと、その前に石があったんです。

胆管に石が詰まっていまして、その石っていうのは痛いんですよ、もう、むちゃくち

ゃ。それで丁度、僕が東京のジャンジャンという所で芝居をやっておりまして、もう

、我慢に我慢をしながら毎日の舞台を勤めていたんですが、とにかく痛いのなんの、

楽屋の中で七転八倒するんです。そして、とうとう明日終わりというその前の晩に、

救急車でもって某医大病院に担ぎ込まれた。

なぜ某か。差し障りがあるからです。いいことだったら、ちゃんと名前を言います。

つまり某医大病院に、夜遅くもう12時近く、担ぎ込まれたんですよね。それで、すぐ

若い宿直の先生は、応急の処置を取ってくれました。なんだか、こんなところから(

鼻を指差す)管をガーンと突っ込んで、胆汁という汚いのを全部吐き出した。なんだ

かもう、いろんなことをやってくれた。

後で知ったことなんですが、血糖値、肝臓値が異常に高くなっていて、血糖値なんか

は、もう死ぬ直前の数字が出たという、大変なことだったらしいですよ。それをすま

して「即今晩は入院だ」と、こう言うんです。それで僕言ったんですよ。「実は今、

芝居をやっているんです。明日で終わりです。で、明日終わって、それから入院しま

すから、それでどうですか」と言ったら、「ダメだ、即入院」こう言うんです。そん

なに悪いのかと思ったですよね。即入院だと言ったくせに、その後の言葉、「ところ

で今、5万円の部屋しか空いてないんですよ、どうしますか?」、一日5万円の部屋で

すよ、それしか空いてないという。

僕は考えましたよ、えー、5万円?一体どれくらいの部屋なんだ。そうでしょ、いっ

ぺんはやっぱり見ておきたい。そしてそのね、舞台でまたネタにすりゃいい。芸人と

いうのは何だってネタにしちゃうんですよね。本当のことを言うとそうじゃないんで

す。お金のことで躊躇するのがみっともないと思ったんです。貧乏人のくせにね。「

5万円、それはダメだよ」それがしゃくだ。「ようし入ってやろうじゃないか、どん

な部屋か」で、そこで計算したんですよ、何日入院するかまだ聞いていない。三日で

終わるならいいですよ、なんとか頑張ればね、払える。一ケ月となるとどうなるの?

計算するのも腹立たしいですね。・・・と、言い淀んでいるときに、やはり常に女は

偉い、強い、たくましい。我が妻、女房、「ダメ」、ダメなんですよ。

なんにも躊躇することはない。ダメなものはダメなんですよ。しかし、その先生にし

ても失礼と思いませんか?「5万円の部屋しか空いてないんですがどうしますか?」

、「どうしますか?」という響きの中に、「ダメなんだろうな」というのが既に含ま

れているんですよね。聞かなくてもいいという人もいますよねえ。僕が国会議員のバ

ッチか何か付けてれば聞かない。そんなことはいちいち、それで平気で10万円の請求

書を出しますよねえ。ところが「たぶんダメだろう、この男」というのがわかる訳で

すよね。身なりから、顔つきから、金持ちの顔じゃないですよね、この顔は。「ダメ

だろうな」と思いながら、「どうですか?」なんて言っている。それが余計しゃくに

さわって、従って某医大なんですがね。ちきしょうと思う。

それで、じゃダメだと言われたもんですから、系列の、もっと規模の小さい病院に又

移されたんです。そこは1800円です。えらい差ですね。ところが、この病院に入って

・・・皆さん、お友達や知っている人の中で誰かが病院に入ったとしますねえ。そし

たら次のことは絶対に言ってはいけませんよ。たとえ親切からであっても絶対言って

はいけない。「この病院ヤブよ!」それはいけません。二人もいたんです、そういう

ことを言うのが。ある人なんか、これは僕のファンなんですが、うちの女房に「あん

た亭主を殺すつもりか?」そんなヤブなんです。

であれは不安になるんですよね、ヤブだと聞いたからすぐに出て行くわけにはいかな

いですよ。だから「世間の噂では、あんたのところはヤブだと言うんで、ほかへ行く

わ」なんて言えないんです。人間てな優しい心があるんです、恥をかかしたくないと

いう。皆一生懸命やっているんだからと思うわけです。ほんでまあ、とにかくそこで

13日間入って、最初に起きた血糖値、肝臓値の一体原因は何だったか、わからないん

です。やっぱりヤブなんです。

そいでたまたま僕の甥っ子が、国立がんセンター東病院という千葉県の柏市にある、

もう最近ではその病院では沢山の有名人が亡くなっていますねえ、勝新もそうだしね

、萬屋金之助もそうだし、今や有名です、もう、皆がんセンター東病院、あそこへ行

きゃ死ぬ(笑い)、そこに甥がいる。癌なんてことは夢にも考えませんよね、それで

行きました。そしたら、なんのことはない石だと判った。でもう、すぐ、じゃ、取っ

ちゃおうということになった。昔は石でも腹を切ったんですが、今は内視鏡といって

、口の中から管を差し込んで石をつぶすんです。

その(3)

それが砂の状態になって、自然に流れるということで、あっさり終わっちゃたんです

、一晩くらい泊まったたけで。ところが甥っ子が、他にも石がないか、あれ、石は動

くと痛いんです、じっとしている石があるかも知れないからということで、もう一度

念のために調べてみたんです。で、その写真を見た結果ですねえ、「ちょっと、あの

、胆管のところの管のところに、ちょっと気になる影があるから、まあともかく、お

じさん退院して、まあ4ー5日したら結果を教えるから」ということで、もうさっぱり

と出たんです。そして、ある晩遅く家に帰ったら、珍しく近所に住んでいる長男夫婦

もいましてねえ、で女房が「マサシが」、マサシというのは甥っ子のことなんですが

、「どんなに遅くなってもいいから電話しろと言っている」。何だろうと思って電話

をした。「ああ、マサシか?、ああオレだ」といったんです。そしたら「ああ、あれ

ね、あれから調べてみたんですがねえ、ああ腫瘍のような影が見えるんだ」、こう言

うんです。「腫瘍のようなもの?なんだい、その腫瘍のようなものっていうのは、つ

まり早い話が癌か?」と言ったら「そうだ」って言うんです。あっさり告知されまし

たね。

告知ということが、ひところ問題になりましたが、今さらねえ、告知がいいか悪いか

の問題じゃないでしょ。考えてもごらんなさい。ええ!その、大きな病院ですよ。あ

の前に行くとね、でっかい字でもって「国立がんセンター」って書いてあるんですよ

!そこで入院しろって言ったらねえ、腹痛(はらいた)やなんかで入院させる訳はな

いんだから。今どき、もー、告知も何もありゃしない、書いてあるんだから。しかし

、電話であっさりと僕は告知されたんですが、ちょっとこれは面白くない。もっとド

ラマチックにやってもらいたい。うちの女房に電話して、「実はおじちゃん癌なんだ

けどさあ、言わないで!オレはうまく言っとくからさあ」、なんてこと言って、皆も

、いいかー(シー、シーというしぐさ)。それで僕は様子を何かおかしいと思う。「

オレは、もしかしたら癌か?」「イヤ!イヤー・・・」。そして、こう、悩む、いろ

いろ、僕は、ああ、この映画の主人公のように。そして「癌!」とわかる。そういう

手続きを経て欲しい。いきなり、あんた、電話で「そうだよ」なんて言われて、それ

で、一日おいて入院しました。「今なら・・・」、外科医が来ましてね、「今なら、

まだ3センチだから間に合います、手術は可能です」と言う。忘れもしない、あの、

神戸で地震が起きた年です。95年の地震の起こるちょっと前、1月9日、実は、これ

からの話を是非皆さんに聴いてもらいたい。というので、わざわざこの話をひっぱり

出したわけです。

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その(4)
あらかじめ外科医からは色々なことを教えられていまして、まあ、それほど心配する
手術じゃない。とは言っても肝臓の手術ができるようになったのは、その時から計算
して6年前なんですよ。もっと前は、もう手術できないんです。肝臓っていうのは、
もう血のかたまりですから、それを切っちゃうということは、もう、ボワーと血が出
てきちゃうわけですから、手術はできなかったものですが、ちょうど95年の時点から
見て6年前。そしていろんな知識が、まあその先生によって教えられまして、そう心
配したものではないと。約4時間から6時間の間に終わってしまうとか。まあ、いろん
なことを聴きました。それほど不安な気持ちは起きませんでした。
予定通り、朝、看護婦が二人やってきまして、えー、そろそろいきましょうか、とい
うことで僕をストレッチャーに乗せて、ストレッチャーというのはコマのついた寝台
ですね、そして二人の看護婦は手術室に、こう、向かって進んでいく。僕はこうーな
っていますね(ストレッチャーに寝ている仕種)。その時の気持ちは、どんな気持ち
かわかりますか?こう乗せられて、ガーといくとき(再び寝ている仕種)。いーい気
持ちなんです。ほんとに。なぜか。廊下をいく人がみんな横目で見ているんですよ。
エレベーターにポンと乗る。そしたらもう乗っている人が、あわてて「どうぞ、どう
ぞ!」、みんな大事にしてくれる。なかには降りるやつもいる「どうぞ、いいです、
私はあとから・・・」。みんな、じーっと見ている。人はみんなから見られている、
注目されていると思ったら、いーい気持ちになるんですよ。はあ。オレが今主人公。
そして手術室へ運ばれまして、そこで手術専門の看護婦とチェンジします。

ドクターちゃびんの解説:マルセさんも言われるように、今なら切らずに治療をする
と思います。C型肝炎からの肝臓癌(肝細胞癌)の場合には、肝臓の中につぎつぎに
出てくることが多いので、その時その時の状況に応じて、手を打つわけです。最近、
色々な治療方法が開発されていて、なるべく身体に負担をかけずに治療することがで
きるようになっています。手術をすると小さな癌を取るために、正常な肝臓の部分を
大きく切り取ることになります。肝臓の再生力は強いので、半年くらいで元の大きさ
に回復しますが、内部の構造は、切られた状態のままです。トカゲのしっぽは切れて
も元のようにはえてきますが、肝臓は、右半分を切れば、残った左半分が大きくなる
だけです。切れたままのしっぽが太くなるようなものです。もう切れないのです。

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その(5)
彼女は僕をこう抱えあげてですね、手術台の上へ載せました。さあ、まわりはすっご
く明るい。まるで精密機械を造っているような、工場の雰囲気ですねえ。ええ、仰向
けに寝ておりました。そして、こう、物音でもって医師や看護婦や、あるいは技師た
ちが何か準備をしているということはわかるんです。わかるんですが、もう見ようと
はしない。見ようとすれば見れたんです。ところが、そういうことをするのが不謹慎
だと思って、見ちゃいけない(気を付けで寝ている仕種)。あの天井のトンボの目ん
玉だけが、こうパーと。あれ無影燈という。影ができない。
そして、前開きの寝間着がパッとひろげられる。そして油紙(あぶらがみ)みたいな
ものがサーと裸の上に載せられる。このへんに(右の腹部をおさえる)、これだけの
穴が(両手で輪を作る)あているのを肌で感じる。あっ、こっからメスが入るんだろ
うなっと思う。やっぱり不安は無かったにしろ、緊張はしますね。足下の方で医師の
声が聞こえてくる。「金原さん!」その、病院ですから本名でいきます。「麻酔を打
ちますから、ちょっと横になって下さい」、横になりますね(横になる仕種)。
あっ!その前に、その麻酔を打つ前に、とにかくいろんな準備を始める。何かこう(
鼻へ入れる仕種)やたらいろんな管を入れる。こう、あのスパゲッティみたいな、ワ
ーとなる(鼻からたらしている仕種)。それで、横になって、プチッと始まる(尻に
注射をされる仕種)。それから、もどして、それで、あっちこっちから僕に呼びかける。
「金原さーん!」「金原さーん!」、ねえ、その都度僕は言葉にはしませんでしたが
、目で反応を示しましたねえ。「金原さーん!」(横目でジロリと見る仕種)、「金
原さーん!」(反対側をジロリと見る仕種)、「金原さーん!」(ジロリ)、「金原
さーん!」(ジロリ)。なあるほど、そういうことだ、ねえ、よく聞くじゃないです
か、「金原さーん!」「金原さーん!」「金原さーん!」と言っているうちに、僕は
そのうちに反応しなくなる(首がガクッとなる仕種)。そしたら、「オイ、今のうち
だ、ヤレ!」(槍でつくような仕種)、こう来ると思ってた。ところが、来ない。眠
くならない。
「金原さーん!」「金原さーん!」「金原さーん!」、目はパッチリとしている。ま
た、看護婦が何やら足下の方を整えたりなんかするんで、おかしいなと思ったんです
よ。そしたら「金原さん、ベッドを移しますよ」。ベッドを移しますよ?さっきスト
レッチャーから移したばかりじゃないですか。それをまた移しますよと言う。だから
僕は聞いたんです。「あのー、手術は?」そしたら「終わりましたよ」、終わっちゃ
ったんです・・・。この時のショックは、もう、何と言いますかねえ、何か、すっご
いマジックにかかった感じ。もしかしたら僕は手術という意味を間違えて解釈したん
じゃないか。ねえ、想像したようなものじゃなくて、ただ載っけるだけが手術だった
。そうとしか思えない。集中治療室に運ばれてからも、ああー、そのことばっかり考
えました。

ドクターちゃびんの解説:手術を受けた経験のある人ならわかると思いますが、手術
室での手順についてのマルセさんの話しはかなり混乱しています。手術室に行く前に
、麻酔の前投薬といって麻酔が安全にかかりやすくするための薬(たぶん注射)を使
っていて、いい気持ちで手術室に入ります。手術台に移されると麻酔医が点滴をした
り、鼻から管を入れたりして麻酔の準備をします。それから横向きになって、背中の
腰のあたりに針を刺して脊髄腔に細い管を入れてます。これは手術後にこの管から鎮
痛剤を入れて傷の痛みを取るためのものです(持続硬膜外チューブといいます)。身
体を元にもどして麻酔の準備が完了です。
顔にゴム製のマスクをあてられて、点滴の管から麻酔薬が注射されて意識がなくなり
ます。この時、数を数えてもらったり、名前を呼んだりして寝たことを確認すること
もあります。意識がなくなると麻酔医は喉頭鏡という道具を使って口を開けて、気管
の入り口を直接目で見ながら気管内チューブという管を気管の中にさしこみます。こ
のチューブの先の方には、チューブのそとに風船がついていて、それをふくらませる
と気管とチューブのあいだのすきまがふさがれて、チューブの中だけで換気ができる
ようになります。上下の前歯のあいだにバイトブロックという硬いゴムの管を噛ませ
て、チューブを噛まれないようにします。チューブを噛むと呼吸が出来なくなるから
です。チューブの位置を確認して、気管内チューブとバイトブロックを一緒に絆創膏
で口の端にしっかりと固定します。気管内チューブの太さは本人の小指の太さくらい
です。へたな麻酔医がすると、歯やくちびるを傷つけたり、喉が痛くなったりします
。気管内チューブに麻酔器をつないで酸素ガスと笑気ガスと麻酔薬のガスを一定の割
合で混ぜたものを送り込んで人工呼吸を行います。血圧や脈拍などを5分毎にチェッ
クして(手術が終わるまでずっと続けます)安定したことを確認して、尿道にカテー
テルを入れて、いよいよ手術を始めるわけです。
ですから、寝間着を拡げて、皮膚を広い範囲に消毒し、手術のために必要な大きさの
穴があいた紙製のおおいを身体にかぶせて、切るという手順は、おそらくマルセさん
の想像の世界のできごとかと思います。私は1年間麻酔医をしていました。内容がち
ょっと古いかもしれません。

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その(6)
実際には、あとで知ったことなんですが、手術に要した時間は4時間、ええ、しかし
、僕は、その、手術室へ入った、それから終わったというまでの間は、こうやった、
ああやった、こうやった、金原さん、こうやった、こうやったで、いくらゆっくりと
計算しても4分・・・。いったい皆さん、僕が信じれる4分と、その4時間と、どっち
が本当の時間なんでしょうか?ええ、難しい哲学上の命題になります。
ええ、あとでわかったことなんですが、あの呼びかけはですねえ、すべてが終わって
からなんです。今の麻酔が効くということは、押さえて(尻を押さえる仕種)、もう
、入っているあいだに、(ガクッと頭をのけぞらして眠った仕種)となっているんで
す。それで、すべてが終わりますねえ、で、麻酔が覚めていないと危険です。そこで
念を入れて、医者は「金原さん!金原さん!」・・・、だからもうパッチリしてたわ
けですよ。ぜーんぶ終っちゃった。つまり、スパゲッティが、こーお垂らされたあ、
ええ、ねえ、麻酔を打ちますから横になってくれと言う、横になった、プチュ(尻に
注射をする仕種)と、(首がガクッとなる)このあいだに4時間がドーンと飛んだわ
けですよ。
病室にもどってからも1ケ月のあいだ、毎日のように考えたんです。時間て存在する
のか?ええ、どういう形で。皆さんも、それぞれが一度は考えてみてください。空間
、これはわかります。これは空間だ(左手を拡げて空間の仕種)。目で見える。計れ
る。実在する。それはわかる。しかし時間て何なんでしょう。たとえば、今もう、さ
っきそこから僕が現われた。それまでの時間は存在しない。そして、これから先の時
間も存在しない。瞬間、瞬間しかない。そして時間の長さってのは、どうなんですか
?本当なんですか?
僕は、あの、最近ねえ、面白い経験をしました。沖縄から沖永良部へ行くときにねえ
、初めて、生まれて初めて、そのー、パイロットを入れて6人乗りの飛行機に乗った
。乗ったことありますかあ?6人乗りですよお。ボーン。約1時間なんですがねえ。飛
んだんです。たまたま雲が一つも無かったんです。パイロットが前にこういる。その
後ろに僕が座ってたんです。見えるのは真青の空、つまり目に動くものは何にも無い
。雲があったら雲が動きます。ところが何にも無い。ただただ、青いだけの所に飛行
機が・・・(座ってジーッとしている仕種)。時間は無いんですよ、そういう時には。
そうなんです、時間というのは、ものが動くことによってわかる。僕が今ここにいる
。これが、ここに動くことによって(横に動く)、レイ点何秒という時間がかかる。
あるいは、皆さんが時計を見る。針が回ることによって時間がわかる。そういうこと
を考えましたよ。瞬間、瞬間を大切にすること、生きること、燃焼するてな、どうい
うことなのか。そういうことをずうっと考えていましたよ。だから言われるように、
平均寿命が何歳だから、それより早く死んだら損をしたとか、ねえ。そんなことは、
もう全く意味のないことです。だって考えてごらんなさい。今ここにいらっしゃる、
僕をも含めて、皆さん一人一人の存在が奇蹟なんです。ほとんど並の品物じゃないん
です。

ドクターちゃびんの解説:さすがは日本を代表する癌治療の施設ですね。肝臓の右半
分を切り取る手術を4時間ですませるという技術はたいしたものです。おそらく輸血
もしていないと思います。それにしても、このような大手術を受けた直後に、「時間
とは何か」とか「人間の存在」について考える患者さんがいるでしょうか。さすがは
マルセさん!と言いたいです。

マルセ太郎のスクリーンのない映画館
黒澤明監督「生きる」のイントロダクション
1999年2月24日於:クーニ一ズガーデン・ミントンホール(福山)
その(7)
一人一人が生きている。その存在が奇蹟です。つまり、あなたとおんなじ顔の人は、
この世にいない。またあなたが今思っていることと、おんなじ、全く同じことを思っ
ている人が、この世にいないんです、今、同時に。つまり品物じゃない。だけど平均
寿命何歳というのは、品物としての計算です。統計。自分の存在、奇蹟的存在を、な
ぜそんな品物の計算と同じ平均寿命なんかにこだわって、損をしたとか、得をしたと
、考えるんですか。それはあまりにも想像力の貧しさですね。そういうことじゃない
ですか。僕は今も、こう、再発をもうすでに6回起こしまして、あまり、ええ、長生
きは望めない、今、状態にいるわけです。ですから毎日のように、死というものを意
識して考えるようになりましたが、そこで一体、その、時間は存在するのか?という
ところに、もちろんちゃんとした答えは出せませんが、常々考えていることでありま
して・・・。そういうふうになってから、死を意識してから生き方を変えようという
のは、もう手遅れです。
そして僕は偉そうなことを言うわけではありませんが、人間が何のために生きるか?
・・・幸福なんです、幸福になるために。そして実はですね、これも僕は戦前の哲学
者、三木清という人の本の受け売りではありますが、そこにも書いてあります。日本
の大学くらい、幸福論ということについての学問をしない国はないという、先進国の
あいだで。幸福論というのをあまり論じない。ヨーロッパの映画なんか見ると、映画
の中に、日常会話の中に、すうっと簡単に幸福という言葉が出てきます。
幸福論。チャップリンのライムライトでも、自殺をはかった若いその女性に、チャッ
プリンが言う「幸福のために闘うんだ!」。幸福って何でしょう?こういう話がある
。私が子供の頃、家はとっても貧乏だった。あるとき、おやじに「おもちゃ買ってく
れよー」ってねだったんだ。そしたら、おやじは「(頭を指差して)ここが最高のお
もちゃだ」。幸福もここ(頭を指差す)にある。つまり、イマジネーション、想像力
ということを言っているわけです。
日本の映画では、そんな映画はありません。第一、日本人には伝統的に幸福という概
念を持たなかった。そういうと、何を言ってんだ、と思われるかも知れません。でも
実際そうなんです。「幸せ」という言葉はあります、確かに。皆さんが年賀状に書き
ます「ご家族のお幸せを祈ります」、みんな書きます「お幸せに」。しかし、その時
の「お幸せ」っていうのはつまり、何事も無きゃいいがという願いです。そうでしょ
?病気をしたり、交通事故にあったり、そういうことが無きゃいい、今のまま、それ
を願いますというのが、日本人のかわされる幸福なんですね。それは消極的でありま
して、決して積極的ではありません。何ゆえに生きるのか?幸福とは何かという積極
性が欠けている。

ドクターちゃびんの解説:マルセ哲学の真髄ですね。積極的幸福論。そして「人は何
のために生きるのか?」「生きるとは?死とは?」。それは私たちの永遠のテーマで
あり、「びんご・生と死を考える会」が追い続けるテーマです。

その(8)
さらに三木清の幸福論の中に、こういうことが書いてあります。「内的幸福は存在し
ない」それは、どういうことかと言いますと、よく言うでしょ「おばさんが何もオレ
にガタガタ言うことはないじゃないか、オレはこれで充分だよ、オレは幸福だと思っ
ているよ、ああ、結構金も稼いだ、家族も皆円満で仲良くしているしねえ、何一つ不
足はない、オレはこれを幸福と思っているんだから、いいじゃないか」って言う人が
います。そう言われたらちょっと答えにくいでしょ。本人が、本人が言ってんだから
、本人が私は幸福だって言ってんだから、余計なことを言う必要がない。
しかし、それを三木清は、はっきり言っています「内的幸福は存在しない」、今のが
内的幸福。自分が思っている、オレは幸福だよと思っているんだと、それが内的幸福
。存在しない。そして「真の幸福というのは、おのずから表現されるものだ」とこう
言ってんです。その顔に、その物に、その行いの中に、おのずから表現される。そし
て「鳥が鳴くごとく」、こう言っているんです。そうなんです、鳥が鳴くごとく。皆
さんが春になって山へ登ります。鳥が鳴きます。「ピピピピ、ピピピピ」あれを聞い
て「うるせえなあ」って言う人いますか?言わない。気持ちがいいですねえ。「ピピ
ピ」何か生命を感じます。ああ春だ。鳥もそれを喜んで、さえずっている。「ピピピ
」葉っぱが緑なんです。一応そういう気持ちが沸き起こる。
つまり、真の幸福というのは、まわりをいい気持ちにさせるんです。ここをしっかり
と捕まえておかなきゃいけない。この頃、若い男女が、もうイチャイチャ、イチャイ
チャ人前でやっているのは、もうね、どこだっておんなじ。東京あたりは、もう、い
やんなるほど見る。あるときなんか、ねえ、昼間ですよ、昼間ホームで電車を待って
いると、前に制服姿の高校生の男女。女の子が男の子のほっぺたのにきびをつぶして
いるんです。男はこうやって「よー、痛てえなあオイ」「まあスッゴイ」なんて、イ
チャイチャ、イチャイチャやっているんです。もちろん僕は文句を言ったりしません
。しませんが、もし言ったとしたら、彼女は何と答えたでしょうか?「何をオジイ、
ひがんでんのよお、私たち愛し合ってんだもん、ねえ、私たち、幸福なんだもん」、
これは、幸福じゃない、何故か?気持ちが悪いです(笑い)。
僕には2歳半の孫がいます。もう、孫と一緒に接触しているあいだの時間は幸福です
ねえ。何故か?こっちが気持ちがいい。気持ちいい、誰だって皆気持ちいいでしょ。
孫は今が一番盛りな人です。何にも考えないで、食べ、笑い、騒ぎ、つまりこっちよ
りか孫自身が。そして幸福というのは、必ずしも持続するものではありません。多く
の日本人は、三木清も言っておりますが、成功することが幸福だと考えるようになっ
た。これが不幸の始まり、成功は欲望です。

その(9)
欲望てのは、決して悪いわけではありません。成功することは、進歩をも約束してく
れます。しかし、成功が必ずしも幸福ではないということを、しっかりと踏まえてお
かないと。そこで人と競争するようになる。成功するために競争することによって、
つまらん優越感に浸り、あるいは劣等感に落ち込む。あるいは他人を差別する。みな
競争です。
今、切実に我々にとって大切な問題は、幸福って何なのか!幸福に生きるってどうい
うことか!そして、こうも言っとります「幸福は個性的である」。個性って、どうい
うことなのか!みんな一人一人顔が違うから個性的?そんなバカなこと言ってません
。そんなの、あたりまえのことです。実に、あっさりと簡単に言っています。「個性
的とは、流行を追わないことだ」。
今みんな、猛烈な勢いで流行を追います。人が携帯電話を持つと、もう用も無い人ま
で皆持って、女の子まで全部、持たない人がちょっと変人と言われるくらい。僕は、
そういう人たちに言っておきたいんです「幸福になれませんよ」。なりたかったら、
今すぐ携帯電話をやめる。何故か?一事が万事、その流行を追わない、流行に乗らな
い。そのことによって生き方が変わってくるんです。現われる友達が変わってきます
。周囲が変わってくるんです。
ところが、常に流行、流行を追って混じってると、つまらん環境がもうできるんです
。だから僕が言っていることは、これは例えの話しですよ。携帯電話そのものが、い
けないって言うんじゃない。それを用もないのに、すぐ買おうとする心理、行為の中
に、その人が幸福になれない条件が、もうそろっているわけです。まあ、そういった
意味のことをですねえ、病院でいつも考えておりまして、さて、生とは!死とは!ま
あ、そういったもろもろの問題をですねえ、これからも考えていきましょう。
では、只今からスクリーンのない映画館、黒澤明監督の「生きる」の上演でございます。

ドクターちゃびんの解説:申し遅れましたが、今回の公演は「びんご・生と死を考え
る会」の主催で行いました。もちろん池田さんと下岡さんが段取りをしてくれて実現
したものです。公演の当日は池田さんがマルセさん一行と一緒に来てくれて、色々と
手伝ってくださいました。公演中はスタッフも全員会場に入れて頂き、池田さんが受
け付けの留守番をしてくれました。きっと福山の「ハゲの薮」が何をするのか心配だ
ったのだと思います。マルセさんのスクリーンのない映画館は福山では初めてでした
ので、近況報告などはなく、このような人生哲学の講義となりました。会員には癌患
者の人も多く、会のテーマにぴったりでした。生きる勇気を得たという感想も沢山あ
りました。マルセさんの許可を得てビデオを撮らせて頂き、教材として使用しています。

***********************************************
数野 博(Kazuno Hiroshi)
びんご・生と死を考える会・代表世話人
広島県福山市野上町3-4-30(郵便番号720-0815)
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